「カナイ映画」というジャンルを歴史に残した

江戸木 これだけ徹底的にカナイイズムで送り出し続けて、当たった映画もあるけど、信じられないくらいコケた映画もあるよね。

叶井 いっぱいありますよ。

江戸木 でも本当に差し引きしたら、日本の映画の興行歴史に、カナイ映画っていうのがひとつのジャンルとして残るんじゃないかっていうくらいの功績がありますよ。普通なら世に出なかった映画をストレートじゃなくて劇場公開するってことは、キネ旬(「キネマ旬報」)の公開リストにも残るし、ちゃんと歴史になるんですよ。それがこれだけあるっていうのは、なかなかのことをやったんだよ。

叶井 だからこの世に未練がないんですよ。十分生きた。

江戸木 もっと生きれば、まだいろいろできるよ。

叶井 だから来年8月まで仕事があるんですよ。いま前倒しして来年春くらいの仕事をしている。死んじゃうから、今のうちにやっとけと。

江戸木 劇場公開するときにはさ、初日舞台挨拶で叶井の一言ってのがあったら、みんな見に来ると思うんですよ。死にそうだけど宣伝しますって言ったら。

叶井 まだ生きてますみたいな。それはそれで面白いね。死ぬまで働きますよ。

江戸木 死んでもやってほしいよ。イタコとか使って。

「日本の映画の興行歴史に、カナイ映画っていうのがひとつのジャンルとして残るんじゃないかっていうくらいの功績がありますよ」(写真:『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』より)

※本稿は、『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー)の一部を再編集したものです。


エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー)

映画業界では知らない人のいない名物宣伝プロデューサー・叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)。数々のB級・C級映画や問題作を世に送り出しつつも結局は会社を倒産させ、バツ3という私生活を含めて、毀誉褒貶を集めつつ、それでもすべてを笑い飛ばしてきた男が、膵臓がんに冒された!しかも、診断は末期。余命、半年──。
そのとき、男は残り少ない時間を治療に充てるのではなく、仕事に投じることに決めた。そして、多忙な日々の合間を縫って、旧知の友へ会いに行くことにする……。