子どもを家に置いておけないから現場に連れていくと、当時の映画界は完全な男社会だから、「子連れ狼と仕事しなきゃいけないなんて、冗談じゃない」となじられる。社長の妻という立場は一切関係ない。そんな甘い世界じゃないです。

借金取りも押しかけてきたし、典吾からは「プロデューサーはお金を出すのが仕事だ」と言われるし、ありったけのフィルムを買い込んで、幼い娘たちのリュックに詰め込んでロケ地まで運んだこともありました。

それでも私が裏方の仕事を続けたのは、お金の管理ができる人が誰もいなかったからでしょうね。たとえば雨を降らせるとするじゃない。撮影で大量の水が必要なときは特機車を借りるか、予算を抑えたいなら消防車を借りるんだけど、これがけっこうお金をとられるの。大事なのは金銭交渉(笑)。

『はだしのゲン』を撮ったときは、いかにわが国の未来にとって有意義な作品か、大風呂敷広げてでも説明して、金銭面で協力してもらえるよう交渉しました。お金の工面は苦労が尽きませんよ。企業に出資を頼むと、企業の言いなりの映画になってしまうしね。

気がついたらプロデューサーになっていたわけだけど、典吾は約束通り、障がい者をテーマにした映画を何本も撮ってくれました。