「まず激しい暴力を振るわれる『暴力爆発期』。次に、『ハネムーン期』といって、暴力の後に謝罪され、優しくされるという状況が訪れる。そこで被害者は、“暴力を振るわれたのは自分が悪いから”と自責的になります。
しかし、しばらくすると『緊張蓄積期』になり、再び暴力が爆発し、謝罪され、“私のせいだ”……。この繰り返しのなかで被害者は無力化され、逃げられなくなっていく。これがDVの典型的なパターンです」(白川さん。以下同)
優里は結婚当初から、雄大による「説教」を受け続けてきた。「お前のためにやっている」と、毎日のように数時間の説教をされ、説教の後は「怒ってくれてありがとう」というお礼や反省文を書いていた。
雄大による結愛ちゃんへの「躾」と称する虐待も、「お前(優里のこと)の躾がなっていないから結愛を叩くんだ」と、責任を転嫁するような言動で正当化されていた。優里自身、身体的な暴力を受けていたわけではなく、これがDVだという認識はなかったことを公判でも証言している。
激しいトラウマはいつまでも色あせない
日常的なDVにより雄大から逃れられなかった優里。しかし、虐待により衰弱していくわが子を目にし、結愛ちゃんを病院に連れて行くなどの行動を起こさなかったのはなぜだろうか。
「人は危うく死ぬような出来事に遭遇したり、目撃したりした場合、心の傷(トラウマ)を負います。そのトラウマの記憶は脳内に冷凍保存され、いつまでも色あせず、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という疾患の元になります。PTSDには、再体験・回避・過覚醒・ネガティブな考えや感情などの症状があります」
優里にとっての「トラウマ」とはいったい何だったのだろうか。
これまでの報道や公判での証言によると、優里は16年11月に、雄大が結愛ちゃんのおなかをサッカーボールのように蹴り上げるのを見たことが忘れられず、公判でも「頭が真っ白になって動けなかった」と証言。検察などにそのときのことを聞かれるたびに何度もフラッシュバックすると話している。これは再体験症状だ。
優里はなぜ動けなかったのだろう。白川さんによれば、虐待の目撃体験のみならず、そのとき起きた「周トラウマ期解離」(トラウマ受傷時に心と体が離れること)の状態が繰り返される。さらにストレス時に人が段階的に呈する5つのF──フレンド(友好)、ファイト(闘争)、フライト(逃走)、フリーズ(凍結)、フロップ(迎合)のうち、フリーズが起きていたためだという。