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「私の人生に待ち受けていた試練」は50歳でのがん告知だった。直島加奈さん(仮名)は思いもよらぬ事態に打ちのめされる。「なぜ私が…」という衝撃から立ち直らせてくれたのは、会ったこともない「友人」たちだった……。闘病ブログに励まされた直島さんは、自分でもブログを始めることを決意する。(「100周年読者ノンフィクション大賞」より)

〈1よりつづく

同病の人との輪が拡がって

私もブログを始めよう! 私はすっかりクミさんのファンになり、彼女と友だちになりたいと思った。病気や治療に関する情報交換もしたかった。ベッドの上で、いつものように天井を見上げながら、その日はブログのタイトルやブログ用のニックネームを考えた。タイトルは、その時自分がもっとも苦痛に思っていたアイテムから、「カツラとマスクな私のブログ」に。ニックネームは好きな花の名前をとって「ダリア」に決めた。

ブログには病気発覚のいきさつや治療のこと、経過、日々思っていることなどを書いた。最初は要領がわからず、硬い文章になりがちだった。それでもブログを始めて、早くも10日目で同病の方からコメントをもらった。レミさんだ。彼女は私と同い年の女性で、翌週から治療が始まるとのことだった。「ブログを読ませていただいて勉強になることばかりでした。これからも参考にさせてくださいね! そして、お互い病気と薬と上手く付き合っていきましょう☆」と、なんともうれしいコメントだった。

レミさんのコメントをきっかけに、読者として治療の励みにしていたブログにコメントを寄せることにした。「ワッショイ」のクミさんにも、「クミさんのブログに勝手に励まされました。ありがとうございます」とコメントを送った。

ブログ友だち、そう、ブロ友が一人できれば、その方のブログのコメントのやりとりなどを見て、どうやらこの方も同病らしい、とわかる。ネット検索するだけでは知りえなかった、同病で同時期に治療している、ブログをやっている人が見つかるのだ。自然とその輪が拡がっていく仕組みが心強かった。

結果的に私は、治療に入って3ヵ月後くらいから約3年間、同病の人たちとブログを通じて交流を深めることになる。それは、これまでの私の半生にはない、特殊で濃密な歳月でもあった。クミさん、レミさんを皮切りに、総勢30名以上の方とブロ友として交流しただろう。今となっては感慨深いものがある。

ブロ友になった人たちはまさに千差万別で、年齢、性別、職業、住んでいる場所など、それぞれバラバラだった。ブログ内で詳細を明かす人もいれば、隠している人もいた。ほとんどの人が、自分の顔写真を紹介する場合は、顔にハートマークを入れるなど、曖昧にしていた。私も「ダリア」として、性別、年齢、病名と、「東京暮らしで、仕事をしながら治療をしている」程度のプロフィールでブログをやっていた。