イメージ(写真提供:写真AC)
東日本大震災当時、子どもたちは恐怖や混乱と悲しみをどうやって受け止めたのか。そして、どのような思いを胸に成長してきたのだろうか。かつての「被災地の子どもたち」は今ーー。第2回目は当時小学校6年生だった鈴木さんと、3年生だった小山さんに話を聞いた

大川小の《みんな》と一緒に

避難の場所とタイミングを誤り、当時学校にいた児童78人中74人と教職員10人が津波の犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校。6年生は21人のうち16人が死亡・行方不明となった。無事だった5人のなかの一人が鈴木大雅さん(22歳)だ。

その日は曽祖母のお通夜に出席する予定だった鈴木さん。父親が早めに車で学校へ迎えに来て、兄姉も拾い、そのまま内陸にある母の実家へ向かったために難を逃れた。大川小学校の被害を知ったのは、数日後のことだ。

「ラジオのニュースで大川小は大丈夫だと聞いて、安心していたんです。そうしたら親が小学校の地域の人たちの避難している場所に行った時に、ダメだったという話を聞いてきて。すごくショックで、信じられませんでした」

大川小は一学年一クラスで、生徒たちの仲が良かった。全校児童で遊ぶ時間もあり、6年生がレクリエーションを考えて、上級生が下級生の面倒を見る。まるで全員きょうだいのように過ごしてきたのだ。

避難先から通える中学校に入学した鈴木さんは最初、大川小出身と明かすことが嫌だった。

「そのことには触れたくありませんでした。石巻で一番被害が大きく、亡くなった方も多いことをみんなが知っている状況だったので」