ストリートチルドレンの絵画教室を支援、作品を日本で紹介した。幼い頃、路上生活をしていた女性とともに写す(2004年頃、カブール)

「隠れ学校」の教師に給料を支払い続け……

アフガニスタンは96年から5年間にわたりタリバンが統治。女性の暮らしは大きく変わりました。外出時には、頭からすっぽり全身を覆うブルカの着用が義務付けられ、女性の就労のほとんどが禁じられたのです。

入国ビザの取得には苦労しましたが、アフガニスタンで活動をしてきた私には許可が出て、支援を継続。東部ジャララバードを拠点に、地元協力者とともに、戦闘で夫を失った女性などの支援に奔走しました。

滞在中は、産婦人科病院の宿直室に寝泊まりし、女医や看護師たちと豆の煮込みを食べ、寝起きをともにしました。意外に思えますが、アフガニスタンの女性は自分の意見をはっきり言います。「夫につべこべ言わせない」なんて言う人もいて、男ばかりが強い社会というわけではないようです。

タリバンは、女子教育にも制約を加えます。

民家を訪ねた際、路地からは見えない、家の脇の小屋で勉強する少女たちが十数人いました。住民が密かにつくった「隠れ学校」です。教えていたのは職を失った女性教師。子どもの親が学費を払えないため、「給料」を援助してもらえないかと教師に頼まれ、引き受けました。

ある時、私は判事に呼び出されました。「学校のことをタリバンに知られた。もうダメだ」と覚悟しました。すると判事はこう言うのです。「妻の給料も払ってほしい」。

彼の妻も隠れ学校の教師でした。タリバン政権が崩壊するまでの間、隠れ学校の女性教師22人に、ひとりあたり日本円にして約2000円の月給を送り続けました。当時、一般家庭がひと月暮らせた金額です。