ずっと支え続けてくれたもの

その後、次女が就職し、親の役目は一段落。私は51歳になっていた。残るは夫との今後だ。長男に相談したら、「後のことは心配せんでも僕が話をつけてやる」という。早期退職して退職金を手にしている夫に私が求めたのは、思い出の家の所有権のみ。今後いっさい関わりたくない、が希望だった。

その年のクリスマスのこと。長男が「僕からのプレゼントだよ」と、夫のサイン済みの離婚届と私名義の家の権利書を渡してくれた。離婚届を提出し、長かった結婚生活もこれでお終い――。

父の三回忌を済ませると、後を追うように母も、老犬も逝ってしまった。長女も嫁ぎ、広い実家に私一人きり。その頃、私名義の家が売れて、小金が入った。

えい!こうなったら、私に必要なものだけを残し、身の丈に合った小さな家を建てよう。自分のために建て替えることを決心した。寝室と客間が一つ、小さなリビングと、わが家の思い出の品をまとめるための押入れ。そんなささやかな家に私は暮らしている。

世間知らずの私が、3人の子どもを育てあげた。100円を握りしめスーパーに走ったあの日、次男と親を喪主として見送ったあの日、膨大な父母の荷物を一人で片づけたあの日。

私をずっと支え続けてくれていたのは、両親と、3人の子どもたちと、先に天国に行った次男だった。たくさんの人の助けで生かされてきたように思う。いろいろあったけれど、気づけば、私の人生の帳尻は合っていた。