ジャン=ミシェル・バスキア Untitled, 1982 oilstick,acrylic,spray paint on canvas 183.2×173cm Yusaku Maezawa Collection,Chiba Artwork ©Estate of Jean-Michel Basquiat.Licensed by Artestar,New York

 

日本との知られざる絆に迫る

1980年代、ニューヨークのアート・シーンに旋風を巻き起こしたジャン=ミシェル・バスキア(1960-88)。世界各国から作品が集結する本展「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」は、日本初、我が国オリジナルの大規模展である。

1960年に、ニューヨークのブルックリンに生まれたバスキアは、17歳の頃よりストリートに描き始めたグラフィティ・アートで評価を得、一躍時の人となる。デビュー前のマドンナとの交際や、ポップ・アートの王様アンディ・ウォーホル、キース・ヘリングらとの交流など華々しい人間関係も知られるが、わずか27歳で悲劇的な死を遂げた。

ジャン=ミシェル・バスキア ©Roland Hagenberg

2017年、株式会社ZOZOの代表取締役社長・前澤友作氏が購入し話題となった《Untitled》を見てもわかる通り、彼の芸術スタイルは、モチーフに文字を組み合わせ、激情をぶつけるように即興的に描いていくというもの。そのとんがった作風からは想像もつかないが、バスキアは日本と縁の深いアーティストで、独自に学んだ日本の歴史や文化、国の印象を自らの作品に取り入れていた。約10年という短いアーティスト人生の間も、たびたび来日しており、バブル景気を迎えていた日本の世相を反映した《YEN》などの作品も残している。

この時期、日本では、多くの美術館がバスキアの作品をこぞって購入したために、我が国には彼の優れた作品が数多く存在する。そんな日本の所蔵作品も観ることができる本展は、日本とバスキアの知られざる絆を知る、貴重な機会となるに違いない。

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大正時代の熱気とともに

わずか20歳2ヵ月でこの世を去った大正の画家・関根正二(しょうじ)(1899-1919)の、過去最大規模の回顧展「関根正二展」。彼は、後に日本画家となる伊東深水(しんすい)と幼馴染みであったことから芸術に興味を持ち、ほぼ独学で洋画の技法を習得する。そして16歳で画壇にデビューし、19歳の時に《信仰の悲しみ》(重要文化財)で二科展樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞した早熟の画家だ。

しかしその翌年、病に冒され早世した。関根が生まれた福島から巡回が始まる本展は、彼の作品や関連資料に同時代の画家の作品を加え、「大正」という時代の熱気もあわせて紹介する。画集でもお馴染みの代表作が数々並ぶなか、特に観ておきたい作品を挙げるなら、彼が死の直前に描いた《三星》である。中央の人物が関根本人、左が姉、右が恋人(諸説あり)の姿を描いたとも伝えられる本作は、中央人物の身につけたマフラーなどに使われた、鮮やかな朱色が印象的。彼の最期の命の火をあらわしているかのような、「関根のヴァーミリオン」である。

関根正二《三星》1919年 東京国立近代美術館

 

 

 

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桃山時代に生まれ近代に復興
個性豊かなやきものの魅力

「茶陶」とは、茶の湯のためのやきもののこと。桃山時代には岐阜県の美濃(東濃地域)で、黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部、とさまざまな茶陶が作られた。この美濃の茶陶を、桃山時代の作品はもちろん、近代に入って美濃焼を研究し、復興させた陶芸家数寄者(やすきしゃ)たちの活動も踏まえて紹介する(展示替えあり)。力強い姿や、鮮やかな色など、いくつかの特徴があるなかで、《織部洲浜形手鉢》に見られるような、奇抜で斬新なかたちも美濃焼の魅力のひとつ。ぜひ個性的で生き生きとした美濃焼の造形を楽しみたい。

織部洲浜形手鉢 桃山時代 17世紀サントリー美術館