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物はいつのまにか増えていく。流行りの品は欲しいし、家族が勝手に買ってくる物もある。「もらってくれ」と寄越す人もいる。でも心地よい家になるよう、日々片付けるのは私の役目。精神的にも肉体的にも疲れました。いつかは捨てます、その時がきたら――62歳の佐藤さん(仮名)が断捨離できない理由は(「読者体験手記」より)

母の目の黒いうちは……

今年こそ断捨離をしよう、と思い立ったのは春のことだ。元号も変わったことだし、気分転換になるだろうと思って衣類の整理を始めたが、梅雨がいつまでも明けず、やっと夏がきたと思ったら酷暑が続くので、ちっとも作業がはかどらない。

たとえば、台風がくる。その前には大雨が降ったりする。テレビをつけると、凄惨な放火事件やらあおり運転やら、さまざまなニュースが耳に飛び込んでくるので、心がせわしない。ああ、片付けに集中できない。

ようやく心も体も落ち着くのはいつも就寝前で、明日こそ片付けよう、と思いながら一日を終える。その繰り返しだ。台風も大雨も事件も、毎年あることだけど。

そもそもこの手記を書きながら、昼食や夕食の準備をおろそかにしている自分がいる。私には、「片付け脳」(そんな言葉を、何かの本で読んだような気がする)のみならず、同時に物事を進める能力がないのかもしれない。そう自分に言い訳をした。

最近は、何をするのにも時間がかかるようになっている。目はかすむし、体のあちこちの調子が悪い。片付けが続かないのは、すべて加齢によるものだと思うのはラクだが、ほかにも理由はあるだろう。

箪笥を整理していると、母から譲られた服が出てくる。サイズが違うので私が着ることはないのだが、その服にまつわる思い出話と、「昔は高かったんよ」という母の一言が頭をよぎる。90代になっても譲った物はきちんと覚えているし、いまは同居しているので、うっかり処分もできない。そのたびに、「母の目の黒いうちは……」と仕舞い直してきた。箪笥2棹分はあるだろうか。

母の服には、太平洋戦争前後に配給された「衣料切符」で手に入れた生地で仕立てた物もある。そんな、物のない時代を生きてきた母にとって、服を捨てることは、古い思い出や自分の歩んできた人生までも否定されるような気がするらしい。

いつかふんぎりをつけてエイッと捨てたい気持ちはあるのだが、思い出話を聞かされてしまうと、難しい。いっそ靴のような消耗品だったら、食べ物のように消えてなくなるものだったら、と思わずにはいられない。