物はいつのまにか増えていく。流行りの品は欲しいし、家族が勝手に買ってくる物もある。「もらってくれ」と寄越す人もいる。でも心地よい家になるよう、日々片付けるのは私の役目。精神的にも肉体的にも疲れました。いつかは捨てます、その時がきたら――石橋さん(仮名)の場合、捨てられないのはある「母の遺品」でーー(「読者体験手記」より)

たったひとつの母の遺品

人も物も、いつか朽ちていく。役目が終われば、いさぎよくピリオドを打つべし。そう思い、婚家でも多くの物を持たないようにしてきた私のもとに、実家の父から電話がかかってきたのは20年ほど前のことだ。

「家の者が、ばあさんの和笥や鏡台を捨てると言っている。捨てられないうちに取りに来い」

母が亡くなったので、実家で同居している弟夫婦が遺品整理をすることにしたのだろう。それまで、父が私に電話をしてくることなど、ただの一度もなかった。家族に世話になっている手前、妻の遺品を捨てるなとも言えず、娘の私に連絡してきたに違いない。

そんな物いらない、というのが正直な気持ちだったが、普段はできない親孝行になると思い直し、翌日しぶしぶ実家へ行った。物置に移されていた母の遺品のうち、私の軽自動車に積めるのは鏡台だけだったので、それを乗せて帰ってきた。

庭先で埃を払い、水拭きをする。鏡は洗剤で拭いてもくもりは取れず、うすぼんやりしていた。家の中に入れると、通りかかった息子が「なんだか幽霊が映りそうだなあ」と笑った。

それは大正生まれの母が、昭和10年代に嫁入り道具のひとつとして持ってきた粗末な物だった。明るくて働き者で、賢く、そして美しい母。母のことが大好きだった私は、父親似の自分の顔をこの鏡台に映しては、「なんで母さんに似なかったのだろう」と何度も思ったものだ。

専業主婦では飽きたらなかった母は、食料品と日用雑貨を扱う小さな店を開いた。近所の人たちからは「アネさん」と呼ばれ、皆、ひとしきり母とのおしゃべりを楽しんで帰っていったのを覚えている。

私が嫁ぎ、4歳になった息子を連れて実家に寄ったときのことだ。店先で息子が遊んでいると、お客さんが「アネさん、いるー?」と店の奥の母を呼ぶ。それを聞いた息子が「お姉さんじゃないよ、ボクのおばあちゃんだよ」と真面目な顔で注意をして、皆で大笑い。鏡台を眺めているとそんな古い記憶が甦ってきて、しんみりと亡き母を思った。