ついに夢にも現れた亡き夫。息子の危機を救う?

娘だけでなく、息子にも似たようなことが起こった。遺影の件から数年後、夫の運転する車に赤ん坊の息子を抱いた私が乗っている、という夢を何回か続けて見たことがあった。

首から上は見えないのに、私にはそれが夫だとわかるのだ。特に何か言うわけではないのだが、夢の中で私は、「パパ、運転して大丈夫なのかしら」と漠然とした不安を抱いていた。

当時、息子は大学を卒業して就職し、ひとり暮らしをしていた。何か意味があるのだろうか。いや、息子のことが気になるからこんな夢を見るのだろう。けれど何となく感じる胸騒ぎを打ち消せずにいた。

そんなとき、息子から「もらい事故にあったけれど、車の破損だけですんだ。けがもしていないから心配いらない」という連絡が入った。

夢は、この事故の暗示だったのかと、一瞬青ざめた。しかし、息子は無事なうえに、停車中のもらい事故だったので、こちらにはまったく責任がないとのことでほっと一安心。夫が守ってくれたのだと、私は信じている。

夫が亡くなって丸8年になる。娘のときのような現象は本当に特別なことで、めったには起きない。けれど、息子のときのように、私たちに何かを知らせたそうに、夢に出てくることは今もある。

そんなときは、「子どもたちを守って」とつぶやいてしまう。そうつぶやくことで私自身が救われるのだ。私たちが悩みや不安から救われるように、彼が見えない力で動いてくれていると思えることが、一度や二度ならずあったから。

私は、見えない人たちの力を信じている。生きている私たちを見守り、どうにもならないときでもいろいろな形で助けてくれていると思うのだ。だから、子どもたちには折にふれ、「パパにちゃんとお礼を言っておいてよ」と話す。

今どきの子どもたちだから、神様や仏様は信じていない。だが、パパへの信頼感は絶大だ。

実は、今の私には“大人のつきあい”の男友だちがいる。彼は夫のいない私の寂しさを埋めてくれる。そんな私を夫は「幸福でなにより」と安心して見てくれているのか、それとも「おまえ、自由すぎるぞ」とあきれているだろうか。

一度、いわゆる“見える”人に、今の幸福な自分の生活に後ろめたさを感じている、と告白したら、「大丈夫だよ」と夫が話している、と言われたことがあった。本当かなと半信半疑ではあったが、あふれてくる涙をこらえることができなかった。

パパ、私のことはもういいから、これからも子どもたちをどうぞよろしくお願いします。

 


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