イラスト:山本祐司
天国へ行っても、現世への未練は断ち切りがたい。故人によりその“現れ方”はさまざまです。大好きな母を亡くし、苦しくつらい日々を過ごしていた陽子さんが、夢で体験したことは――(「読者体験手記」より)(イラスト=山本祐司)

夫の呪縛から逃れたものの

ママ! どこ行くの? 私を置いて行かないでよ! だめ! だめだよ。

その朝私は、次女にそう言われ、思いきり伸ばした腕を強く叩かれて目が覚めました。

私は今年70歳。子どもの頃から何十年も予知夢に似た不思議な夢を見たり、何やらいわくのある場所では具合が悪くなる、ということが珍しくありませんでした。しかし、この時ほど生々しい夢を経験したことは、かつてありませんでした。

思い返せば、罵声を浴びせる夫から逃れるため、住み慣れた郷里を去って、次女の暮らす都会へ避難したのが2009年夏。郷里に住む年老いた両親とも離れることになりましたが、別れを告げることもできませんでした。

馴染みのない街での住居は、体にこたえます。加えて、声を掛け合える友人もいない寂しさ。長年味わった夫からの恐怖に、夢の中で繰り返し襲われ、一度も安らかな夜を過ごしたことがありませんでした。私を心配して呼んでくれた次女には申し訳なく思いながら、朝、目を覚ますと苦痛を感じる毎日でした。

そのなかで唯一の慰めだったのが大好きな母でしたが……。2012年5月に母の膀胱がんが再発。奇しくも同じ頃に私自身も子宮頸がんを患います。命にかかわるからと、私が緊急手術を受けたのは11月。自由に歩けるようになると、術後に医師から勧められた抗がん剤や放射線治療を断り、12月17日におぼつかない足どりで飛行機に乗り込みました。

郷里で待つ長女につきそわれて、母のいるホスピスに着いたのは19日。次女は後からやって来ることに。院長が、「お母さまは気力だけで待っていたのでしょうね。お気の毒ですが、もう3日前から意識がありません」と病室の外で言い、去って行きました。

ドアを開けると、看取りのために集まった妹家族と看護師が驚くほどの声で、母は「ようこ!」と名前を呼びながら私の方へ手を伸ばして、「うれしい!」と一言……。私がその手を握ると、安心したように再び目を閉じました。

看護師は、「本当に待っていたんですね。陽子さんが19日に来ると聞いて以来、お母さまは私に毎日『今日は何日?』と聞いていらっしゃいましたよ」。そして、翌12月20日に母は他界しました。母の死は、夫からの罵詈雑言や妹家族との不和に苦しむ私には、大げさではなく生きる意味さえ見失うほどのものでした。

なんとも言えない気持ちのまま母の葬儀も終わり、初七日を前にした日のことです。長旅と葬儀の疲れや精神的なストレスが重なったせいか、ベッドに横たわっていると、まるで夢とは思えない感覚を覚えました。

実家の庭に立った私の前に黒いリムジンが止まり、誰かが手を振っています。見ると運転席の父の隣から、身を乗り出して「ようこちゃん、行くよ。ようこちゃん!」と何度も呼ぶ声。それは母でした。「お母さん、どこ行くの?」と言う私に、笑いながら何度も「あとでね」と言って去って行きました。この時父は存命でした。