すべての手紙を読み終わり、私はひどく落胆した。なぜなら、その後の手紙には、私が生まれたことへの嬉しさが綴られていないどころか、育児に関する記述が何一つ見あたらなかったからだ。

一般的な昭和一桁生まれの母親といえば、子どもが生活の中心ではないか。自慢が嫌いな母ではあったが、気を許した友人への手紙で、わが子の成長の一片でも記すのが普通ではないだろうか?

そのかわりに書かれていたのは、早く東京の実家に戻りたいということ、夫である私の父との喧嘩の経緯や不平不満、そして煙草を吸う習慣ができてしまったこと、等々だった。結婚で静岡へ来て以来、相談相手もいない寂しさからか、とにかく生活や気持ちが満たされていない事実だけが流麗な文字で綿々と綴られている。

今考えると、わが家には一家団欒というものがなかった。父が単身赴任していたせいもあるが、お盆には母と私たち姉弟だけで東京に帰省したり、母の友人宅を訪ねたりするのが恒例だったから。父が単身赴任していたからこそ、「お盆は一家団欒」というのが通常の発想ではないか。常に不在だった父親との思い出は、ほぼないに等しい。

 

母が「女の顔」を見せていた唯一の想い人は……

もう一つショックだったのは、父親以外の男性のことが書かれていたことである。「聡さんの夢を見ました。私のいない間に聡さんがほかの女の人と仲よくなっていて妬いてしまったわ。そんなことありっこないのにね」「聡さんは私の結婚を知った時、私が幸せならそれでいいって言ったのですって」など、さっぱりした性格の母が、女性らしく語っているのに驚いた。

以前に明子さんから聞かされたことを思い出す。会社員時代に母にはお付き合いをしていた同僚男性がいたものの、家柄が釣り合わなかった。結婚は叶わないと悟った母は、彼に黙って会社を辞めてしまった、と。