その後、明子さんに電話をしてわかったのだが、手紙の束を母に返したのは明子さんだったそうだ。さらに当時の話を聞いたところ、いろいろと話してくれた。母が会社を辞めた後、相手の聡さんはずいぶんと落ち込んで気の毒だったこと。2人とも正義感が強くて、お似合いだったこと……。

その後、聡さんは親の意向に沿う結婚をしたが、1年もしないうちに離婚したというから、彼も母と結ばれたかったのかもしれない。明子さんと話してみて確信したのは、母が生涯で心から愛した男性は、聡さんだけだったのではないか、ということだ。

明子さんが「背の高い人だった」と教えてくれたので、手紙の中にあったセピア色の写真を見てみる。社員旅行だろうか、ドテラのようなものをはおった男女10人が写っていた。

その中の母は、私には見せたことのない眩しい笑顔を浮かべている。母の想い人らしき聡さんは、凜々しく素敵な方だった。父とは似ても似つかない、育ちの良さ、溢れるような知性が写真を通して漂ってくる。

私は40を過ぎた頃から、自分は母に愛されていなかったという思いが強くなり、何度となくぶつかってきた。だが母は、「虐待したわけでもないのに、どうして文句を言われないといけないのかわからない」と言って、私をつっぱねた。亡くなってなお、母は私に追い打ちをかけるのか……。

20年前、母が青春時代の写真を捨てたのは、諦観とやけっぱちからの行為だったのだろう。残された手紙の束と1枚の写真が「自分が本当に生きたかったのは、別の人生だった」と明かし、静かに私を打ちのめしたのだった。

 


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