慣れない環境からホームシックに

翌日は、仕事の時間が気になり早く目が覚めた。厨房の方たちに挨拶をし、指導役の従業員から指示を受ける。

私の主な仕事は、宿泊客の朝・夕食の準備、配膳、片付けなど。未経験の仕事なので、戸惑うことばかりだ。ほかの従業員は20代、30代の女性が中心で、みな声も態度も大きく、自信に満ち溢れている。あたふたしている私は「使えないオバサン」と思われていただろう。

そんななかで唯一の救いになったのは、一緒に働く同い年の林田さんという女性の存在だった。なんでも親切に教えてくれる。このようなところに住み込んで働いているのだから、何か事情を抱えているのかもしれない。お互い距離を保ちつつ、ほどよい関係が続いた。

午前の仕事が終わると、午後4時までは休憩時間になる。部屋で特にすることもない私の楽しみが、散歩だった。寮から10分ほど上り坂を歩いたところにロープウェイ乗り場があり、観光客でにぎわっている。山頂まで行けば、景色は申し分ない。湧き水で淹れたおいしいコーヒーを飲みながら、物思いにふける。

日を重ねるにつれ、仕事には慣れていった。一方で、この土地特有の寂しさにはいつまでも慣れない。バスの本数が圧倒的に少なく、帰りの時間を考えると、たまの休日でも外出は難しい。ちょっと歩けばコンビニやスーパーがある暮らしが当たり前だった私には、ここでの生活は思った以上に厳しいものだった。

そんな私の思いを、林田さんは聞いてくれた。子どもはいるが頼りたくないこと、だから元気なうちは働きたいこと。そんな思いが共通した。

私のホームシックは1ヵ月で限界に。もともと3ヵ月勤務の予定だったのだが、ちょうどこの頃、母が体調を崩したこともあり、私は埼玉へ帰ることにした。短期間ではあったが、仲間たちと別れる寂しさ、仕事を投げ出す情けなさなど、いろんな感情が混ざり合い、涙が出た。

家に戻ってから、実は北海道でバイトをしていた、と娘たちに話すと、とても心配され、怒られた。期間はひと月と短かったものの、この経験が私の可能性を広げてくれたのは確かだ。翌年の夏には、熱海でのリゾートバイトに挑戦。今度は2ヵ月の契約期間を全うできた。

いま、私は知人の紹介で寺の事務を手伝っている。御朱印を書くなど、こちらも初めて経験することばかりだが、充実した楽しい日々だ。一度は定年退職を経た身だが、体が自由に動くうちは、家でじっとしているより働きたい。そして、身ひとつで知らない土地に住み込み、知らない人たちと触れ合ったことで、今度はひとり旅に挑戦する勇気もわいてきたところだ。
 


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