イラスト:クボ桂汰
憧れはあったけどできなかった。腹は立っていたけど言えなかった。でも、もうこわいものなしの年齢だから、と一歩踏み出して見えた景色は……千葉和子さん(仮名)の場合、頭痛の種は義理の母でした(「読者体験手記」より)

初孫誕生に「おめでとう」も言わず

30年前、私は実家から車で5時間の距離のこの地へ嫁いできた。母が姑にいじめ抜かれるのを見て育った私の結婚の条件は、義父母とは同居しないこと。家は夫の実家の近くではあったが、同居でなければ大丈夫だろう。そう高をくくっていた。だが、すぐにその考えの甘さを思い知らされる。

結婚式の翌日から、義母は毎日、私たちの家に来るようになった。何時だろうとかまわずアポなしだ。ひどい時には、朝起きたら枕元に立っていて、「どうせ寝てるだろうと思ったわ」と悪態をつく。朝の6時。寝ているに決まっているではないか。また、テレビを見ながら深夜0時頃まで居座っていたことも。いったい、何のつもりなのだ。まったく理解できない。

結婚した時、すでに若くなかった私は、すぐにでも子どもが欲しいと思っていた。しかし、こんな状況では夫婦二人きりの時間を作るのも容易ではない。夫はあまり協力的ではなかったが、なんとか姑から合鍵を取り上げてもらった。そんな努力が実ったのか、結婚から2年後に妊娠。とてもうれしかった。

義父母にとっては初孫だ。さすがに喜んでくれるだろう。そう思って報告したが、義母は慌てた様子で「子どもは作らないと言っていたのに!」などと私に言った。ショックで思わず固まる。

疑いと怒りが頭のなかを駆け巡り、夫に「あなた、お義母さんに、子どもは作らないなんて言っていたの?」と詰め寄った。夫は「知らない」と言い張るが、信用できるものか。それからというもの、夫婦喧嘩が絶えなくなった。原因はもっぱら、姑のことだ。ああ、この地から離れたい……。

私は里帰りをして無事娘を出産した。娘を抱ける幸せはもちろんだが、束の間、姑から離れていられる解放感がたまらない。当時はまだ携帯電話もない時代で、病院に入院していれば安全だった。いつまでもこうしていられたらよかったのだが……。

出産から2~3日後、ナースセンターを通じて、姑から電話があった。

「息子がそっちに行くと言っているけど、冬道で危ないし、正月になってからのほうがいいでしょう。私が言っても聞かないから、あなたからきちんと言ってちょうだい!」

「おめでとう」の一言もない。悔しくて、悲しくて、ベッドで一人泣いてしまった。

その翌年、息子を出産した後、私は働こうと考えるようになった。夫の給料だけではとてもやっていけない。私の年齢でもギリギリ正社員で採用してくれそうな職場があったのだが、当時の保育園は17時までしか子どもを預かってくれない。17時以降、少しでも子どものことを見てもらえないか。私は義父母に頭を下げに行ったが、やはり断られた。

仕方なく、私はパートで短い時間働くことにしたが、姑はそれにも反対し、職場に頻繁に電話してきたり、帰宅時間を見計らって家の前で待ち伏せしたり……。私はだんだん、精神的に追い詰められていった。