その頃はバブル前だったので、住宅ローンを組めば郊外の新築マンションが手に入った。新たな住まいに移ったのを機に、私は思い切って不動産仲介の営業職に転職した。40を目前にしていたが、女性の営業を積極的に雇用してくれたし、頑張れば年収で800万~1000万円は稼げる、というのが何よりの魅力だった。

慣れない営業の仕事で、毎晩帰宅は遅く、宅地建物取引士の資格も必要で、受験勉強に明け暮れた。そうして、私はその地域では名の知れた営業マンになった。

 

人生は、蓄えと寿命のバランス

夫とは協議離婚したが、共有財産として購入したはずのマンションには元夫が住み、私は賃貸マンションに住んでいる。仕事の年収と、年金受給額はほぼ同額。家賃は月8万円弱かかり、そのほかの生活費は10万円程度に切り詰めているが、なんだかんだ貯金を切り崩すことになっている。

孫がいると想定外の出費があるし、仕事をしている以上は、洋服や美容にかけるお金は減らせない。家賃があと1万円くらい安いところへ移ろうかと悩みつつ、先延ばしにしている。本来なら、あの共有マンションを売却して老後資金にあてたいのだが、元夫は「おれが死んでからにしてくれ」と都合のいいことを言い続ける。

健康でありさえすれば、働いて埋められるのだ。でも自立して生きられなくなったら、どうすればよいのだろう。こんなに働き詰めの人生だったのに、満足のいく老後になっていない現実。人生は、まさに蓄えと寿命のバランスだと思ってしまう。

年収が1000万円近い時もあったのに、なぜこんな受給額なのか。それは、当時の私の基本給が低めに抑えられており、仕事を頑張ることで年に400万円近いボーナスをもらっていたからだ。2003年3月以前に働いた分までは、厚生年金の一部は基本給をベースに算出される。非常に残念なことである。

もし人生をやり直せるなら、老後のことを考えて、もっと蓄えを増やしただろうか。年金の受給額のことを考えて、基本給の高い仕事に就いただろうか。いや、どんな選択をしていたとしても、安心と言えることなどないのではないか。むしろ、人生を自分ひとりで選択できるいまを、私は幸せだと思う。ひとり、もなかなかいいものである。

自分はまだまだ成長できる、昨日より今日の自分はもっと進歩している。そう思えることに、私はささやかな喜びを感じる。だから失ったものを数えるより、いまあるもので頑張って生きてみよう。働き続けられることを、幸せだと思おう。元夫が住んでいるとはいえ、あのマンションがあってよかったと思おう。この手記を書きながら、部屋に差し込む日差しに心が温かくなった。
 


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