撮影:本社写真部
音楽で結ばれた美智子さまとのご縁が長く続く、ピアニストの舘野泉さん。たびたび音楽談義に花を咲かせる間柄だそうです。心温まるエピソードとともに、私たちの知らない美智子さまの素顔を語ってくれました

「やっとお会いできました」と声をかけられ

脳溢血で右手が動かなくなり、“左手のピアニスト”として演奏活動を行うようになってから、14年がたちました。今は一年の半分近くは日本、残りは1964年以来拠点としているフィンランドで生活をしています。2018年も9月から12月までの3ヵ月間、日本で二十数回の演奏会がありました。82歳になってもピアノを弾いて皆さまに聞いていただけるというのは、本当にありがたいことです。

美智子さまと初めてお会いしたのは、天皇陛下が即位される前の1985年。皇太子ご夫妻が北欧4ヵ国を歴訪された時です。その際、在留邦人に会いたいとのご希望があって、10人くらいがヘルシンキの日本大使館に招かれ、僕もそのうちの一人でした。

整列してお待ちしていると、皇太子殿下が一人ひとりに言葉をかけてくださり、僕の前にいらっしゃると、「舘野さん、あなたのことはいつも美智子が話しています」とおっしゃった。

続いて美智子さまが、「やっとお会いできました。いつもレコードで聞いています。素敵だと思っておりました」と言ってくださいました。しかも、僕が書いた文章の一節をそらんじてらした。本当にびっくりしましたし、嬉しかったですね。

滞在中、皇太子ご夫妻は、フィンランドを代表する作曲家シベリウスの自邸「アイノラ」に行かれました。僕は演奏会があったためご一緒できなかったのですが、後で聞くと、アイノラの森の小道にスズランが咲いており、美智子さまは「まぁ、素敵」と、かがんでご覧になっていたそうです。

すると付いて回っていたフィンランドのジャーナリストたちが、スズランを摘んでお持ちになるようお願いした。しかし美智子さまは、「自然のものは、自然にしておくのがいいと思います」とお答えになり、スズランをお摘みにならなかったそうです。その場にいたジャーナリストたちは大感激し、翌日、新聞に大きく掲載されました。

次にお会いしたのは1993年。当時美智子さまは失声症にかかられていました。12月6日、ちょうどフィンランドの独立記念日に、僕とピアニストである僕の妹、その連れ合いでヴァイオリン指導者の広瀬八郎の3人が、赤坂の東宮御所に招かれることになったのです。すでに皇后になられており、皇居に移るという時期。「ここにお呼びするお客さまはあなたがたが最後です」とのことでした。