イラスト:黒猫まな子
死によって明らかになる故人の遺志。その本音に残された者は戸惑うばかり。上林さん(仮名)は、愛する夫が残した写真に心が揺さぶられてーー(「読者体験手記」より)

本当に俺の理想に近い人だったんだよ

夫が旅立って1年が経つ。

たった数時間の入院であっさりと逝ってしまった。慢性好中球性という極めて珍しい型の白血病で、4年あまりの闘病の末のことである。

夫は、社員30人ほどの会社の会長をつとめていた。ひとりで立ち上げて、育てた会社だ。目をかけていた社員に社長の座を譲ったが、経営権を渡したあたりから、会長室を取り上げられ、明らかに冷遇される屈辱も味わった。

葬儀は、私たち家族にはほとんど縁のない仕事関係者ばかりが目立つものになった。そのうえ会社と家との合同葬儀と言いながら、葬儀費用の1円たりとも会社は出さずじまいである。

私は夫が好きだった。最後の最後まで、男としての夫に恋をしていたのだ。

夫が同じ気持ちだったとは思わない。家族としての情はあったろうが、夫にとって私はもう女ではなかったと思う。夫の人生では、女とか、子供を含めて家族の存在は、決して優先順位の上位ではなかったのだ。

何事にも行動が早くて、結婚前、彼の友人に「あいつは考える前にもう走り出してるやつだから」と忠告されたのを覚えている。

一方の私は、口だけの人間だったから、夫の行動力が好ましく、うらやましかった。長い結婚生活の間、その思いは少しも変わらなかったように思う。

あれは、死の2ヵ月ほど前のこと。通院から帰る車の中で突然夫が、「好きな人がいた」と言い出した。何ということのない普段のおしゃべりの中での、唐突とも思える切り出し方で。

「本当に俺の理想に近い人だったんだよ。明るくて、何事にも前向きで、強くて、でも穏やかで」

楽しそうに、ほんとうに楽しそうに夫は話した。その時どう感じたかを今は思い出せない。あまりにショックで、考えること、感じることを、私自身が拒否したのだと思う。