イラスト:飯田淳

 

平成がはじまった頃、よのなかはバブルだった。
実体は、ない。ないのに、ある。「なんかよさそう」。
期待が期待を生んで、成長し、肥大化していく。
そんな時代を会社、そして上司とともに生きた女たちの言葉を綴る

 

第1回 バブルの社会人1年生

「バブル世代」と呼ばれるのは好きでないが、自分があのバブル期に、社会に出た一員なのにはちがいない。

日本の株式市場では1986年の秋にリクルートコスモス株が上場、翌年明けに日経平均が2万円を突破、2月にNTT株上場、10月にはブラックマンデーと呼ばれるNY株式の暴落を受けて日経平均も暴落。インサイダー取引が横行し、それを規制する法律ができたかとおもえば未公開株譲渡に政治家が関与したリクルート事件が発覚する……などなど、金融市場のニュースに明け暮れていた「昭和の終わり」、私は初めての就職をした。30年前のことである。

勤めた会社は、外資系金融企業だった。先の金融恐慌(2008・9・リーマン・ショック)の折に、「大きすぎて潰せない」とアメリカ政府に言わしめた、巨大企業グループのひとつである。なんでそんな会社に入ったかといえば、父親の薦め、ようはコネ、という以外に大した理由はない。大学生だった4年間、私は楽器を吹いてばかりおり、ろくに勉強しなかったため、その先の自分の進路もイメージできていなかった。

私は損害保険会社の自動車保険部に配属された。「一般職」として。

「一般職」とは事務職のことを指している。女子の仕事は事務職が「一般」的だったことが語源なのだろうか? にしても、この呼び名、まぎらわしい。総合職を「一般」と呼ぶほうが自然な気がする。ともかく、お勤めは「一般職」と「総合職」に分かれており、私の場合はコネ採用だったので選べなかったのであるが、ちょうどその少し前に、新しい法律ができた。

「女子学生のみなさ〜ん! 一般職と総合職、どっちでも選択できるんですよ〜、女性も男性と同じように仕事をすることだってできるのです、これからは!」というビッグな旗が、政府によって掲げられ、ブンブン振られていた。いわゆるキントウホウ、もしくはコキンホウ、「男女雇用機会均等法」である。

〈あらゆる女性差別を撤廃しましょう!〉

という条約が、79年の国際連合総会で採択された。

労働者については、募集・採用の段階から、採用後の配置、昇進、教育訓練、福利厚生、さらには定年・退職・解雇に至るまで、すべての女性の雇用において差別がなきよう、男女平等でね、とのお達しである。