低迷期を終わらせたたのきんトリオ

矢野 僕は最初「少年隊ってダンスミュージックが多いな」とか「トシちゃん(田原俊彦)はディスコっぽい」みたいなことを思いながら単発的に聴いていたんです。でもその後、初代ジャニーズの頃までさかのぼった時に、「ジャニーズはずっとソウルフルな音楽をやってきたんだなあ」と、自分のなかでつながったんですよね。今日も持参したんですが、フォーリーブスのレコードジャケットを見ると、すごくかわいい顔をしています。

近田 少年っぽさが強調されるようになったのはフォーリーブスからだね。そして彼らが持っていた少年っぽさやかわいさを集約したのが、72年に「男の子女の子」でデビューした郷ひろみだった。でも彼は3年後に事務所を移籍。次に売り出した豊川誕の人気があまり出ず、しばらくジャニーズは低迷期に。それを終わらせたのが、田原俊彦・野村義男・近藤真彦のたのきんトリオだった。

矢野 近田さんは、80年に発売された田原俊彦のファーストアルバムに曲を提供していますよね。その際、ジャニーさんにも会われたそうですが。

近田 そうそう。僕が最初にジャニーさんを見かけたのは、「日劇ウエスタンカーニバル」の現場。舞台袖でジャニーズのタレントたちにアドバイスをしていたんだけど、いつも腕組みして、すごく姿勢が良かった。で、それから何年も経てから「田原俊彦に曲を作ってほしい」って依頼されたんだ。僕が仕事をしていたスタジオに、ジャニーさんとメリー(喜多川)さんが訪ねて来た時は驚いた。

矢野 2人でというのがすごいですね。

近田 僕はトシちゃんに「イン・ザ・プラネット」「10代の傷跡」という曲を作ったんだけど、ジャニーさんからの細かい指示は特になくて、「トシちゃんはこんな感じだから、こんなふうにやってよ」という程度。すごくラフなんだよ。こちらをやる気にさせる雰囲気作りが上手い人だなあと思った記憶がある。

矢野 当時のたのきん人気は、すごかったと言いますよね。

近田 そう。大きかったのは、彼らがドラマ『3年B組金八先生』でブレイクしたこと。ジャニーズが歌や踊りだけじゃない、幅の広い表現者集団になっていったのはそこからだよね。