イラスト:泰間敬視
いつまでも介助のいらない体で、楽しく長生きしてほしい。それは紛れもない子どもの本心です。でも衰えを知らない行動力、時にこちらを圧倒する我の強さを見せつけられ、振り回され続けると──。母との同居で思い知らされた平井理子さん(仮名・48歳)はの場合は?(「読者体験手記」より)

「あなたと住めるなら小屋でもいい」

母を呼び寄せ、一緒に暮らすことにしたのは、熟考の末ではない。父亡きあとの実家には母が一人で住み、兄夫婦が近居していた。年に数回の法事や、友達との旅行の送り迎えなどはすべて兄嫁がやってくれる。しかし兄嫁は、パートに加えて息子たちの部活や塾の送り迎え、それに実父の介護も抱え、多忙を極めていた。

一方、私は夫の転勤に伴い、住まいを転々とした。10年ほど前に離婚したが、親しくなった友人たちと離れ、転職してまで実家に戻るという選択はなく、一人での生活を楽しんできた。兄夫婦へはお菓子や土産ものを送る程度。いつも申し訳なく肩身が狭かった。

職場で、親の介護があるからと時短勤務を申し出る人がいたり、友達の親が施設に入ると聞いたりしたことも、決断を急いだ理由のひとつ。2年前、兄夫婦に了解を得てから、母に「同居しないか」と持ちかけた。最初は「こっちにはお墓があるから」「父さんが残してくれた家が空き家になる」と気乗りしないようだった。

しかし最終的に「あなたと住めるなら小屋でもいい。まだ私は元気だから、料理も掃除も何でもやるよ」と言ってくれたので、私は思い切って母と住む家を建てた。

結婚後、50年以上を過ごした地を離れ、これまで訪れたこともない場所で暮らすことになるのだ。不安で仕方ないだろう、というこちらの心配をよそに、母は行動の幅をどんどん広げていった。同居を始めた翌日にはパーカーを羽織り、サンバイザーをつけ、首から名札のようなものをぶら下げて、玄関先で「準備オッケー」なんて言っている。いつの間に作ったのか、名札には名前、住所、電話番号のほかに、私の名前と携帯の番号まで書かれていて、ご丁寧に「(娘)」という説明まで。

1時間ほど経った頃、ハァハァと息をつき汗を浮かべた母が帰ってきた。地図もないのに、計画的にウォーキングをしてきたようだ。大きな道沿いを歩き、郵便局を曲がって、桜の木を曲がって……と説明してくれるが、私のほうがちんぷんかんぷんである。