イラスト:大高郁子
コロナの影響は別れのときにまで。高齢の父親をみとることもできず、葬儀に親類も呼べず、果ては見送ったあとの手続きも異例の措置がとられ……。感染症に振り回され、悲しみを上回る疲労に見舞われたのは錦戸さん(仮名)です(「読者体験手記」より/イラスト=大高郁子)

コロナのせいで会話できず

4月1日エイプリルフールの日、父は窓から満開の桜が見える病室で一人旅立った。その日は朝から雨がひどく降り、前日急な父の転院に付き添った私は疲れもあり、午後から病院へ向かうことにして休んでいた。隣の部屋の電話が鳴り、母の「お父さんの呼吸が乱れていると医者が……」まで聞いた途端、全身の血が引いていくのを感じた。

急ぎ駆けつけたが、すでに父は息を引き取り、人工呼吸器を付けた前日の苦しい状態から、やっと解放されたかのように、安らかな表情を見せている。顔に手を当てると、まだ温もりがあった。誰にも看取られずに淋しかっただろうと思い、涙があふれる。

父は3年近く前まで、リハビリのため週3回ほどわが家からデイサービスに通っていた。しかし医師から処方された薬を勝手に飲み、腸をこわして入院。ずっとベッドに寝ていたせいで足腰が極端に弱り、介護老人保健施設のお世話になることに。

当初は2、3ヵ月で自宅に戻れると思っていたが、体力は衰え、足腰も元には戻らず、加えて自宅は高齢の母と未婚の私のみの核家族。私自身も70歳近い年齢とあって、一人で二人の親を看るのは心身ともにシンドい。老健で過ごす父のもとに私が週に1、2回面会に行き、洗濯物を取ってくる生活となった。

3月に入ると新型コロナウイルスの感染対策で、面会の際の会話を控えるよう言われる。私は入り口で検温と手の消毒をし父の部屋で洗濯物を袋に詰め、「また来るからね」と耳元で言って即退去する日が続いた。

4月が近づいたある日、父の担当介護士から今後の計画書を示され、「リハビリ量を少し増やしましょう」などと期待の持てる話をされた。私はホッとし、希望も湧いてきた。その後3階へ上がると、父は大広間に他の入所者とともに座っている。父の肩を叩きエレベーターへむかうと、珍しくいつまでも父は私のことを見送ってくれた。手を振りエレベーターに乗り込んだが、これが椅子に座っている父の最後の姿となった。

今さら致し方ないが、コロナのせいで1ヵ月以上もまともに会話ができず、アイコンタクトのみでは体調の変化も察知不能だったことが、父の死を早めたかもしれない。そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。