
スーパーの特売情報に、母は敏感だ。
「ちょっと! みんな聞いて」。ある日曜日の朝。母が声を発すると、父は読んでいた新聞をたたんで顔をあげ、兄はテレビを消し、私は飲んでいた牛乳を噴き出した。母は額に汗を浮かべ、深刻そうな表情だ。
「今日、お一人様1点限りで、卵が1パック100円ですって。1人、2人……よし。4パック買えるわね。開店してからじゃ遅い。今から出陣よ」
私たちが駆り出された戦場は、近所のスーパー。母が危惧していたほど敵はいない。10時ちょうどに店が開くと、一目散に卵を探す。だが、目当ての品が見つからない。「すみません、特売の卵はどこに?」。母が店員に尋ねるが、店員は知らないと答える。
まさか、日にちを間違えたか? 「ちゃんと載っていたのよ、このチラシに」。母がチラシを広げて店員に見せると、「それ、うちじゃないですね。スーパーBですよ」と、店員は冷ややかに笑った。
別の日。ダブルのトイレットペーパーが「18ロールで298円」だという。やはり「お一人様1点」なのだろう、家族そろって父が運転する車でドラッグストアへ向かうことに。
店に着くと、いつものように母は一目散に目当ての売り場へ。父、兄、私は、やや遅れて母を追う。ところが、先に着いた母が、鬼のような形相で柱の陰から私たちを手招くと、「散らばるよ」と指示。何のことかと、父が母にこうとすると、母は「しっ!」と人差し指を立てる。
すでにレジは混み合っていて、対応に追われる店員は、私たち家族の動きなど目に入っていないようだ。まさか、その隙を狙って、万引きしようというのか? 続けて母が「これから、私たちは家族じゃなく、赤の他人よ」と言う。「り、離婚!?」。呆気にとられ無言の父を見て、私は心の中でアフレコしてみる。
「一家族1点だから」と母は言った。要するに、一人1点ではなく、一家族で1個しか買えないのだ。かくして、私たちは他人のふりをして、レジに並ぶことになった。