お互いに譲れない性分で

テレビ番組の好みも違うから、家に1台しかテレビがないわが家ではチャンネル争いが起こる。といっても、私も大人。一応「お客さん」の母を尊重し、見たい番組があっても譲ったつもりであった。

唯一好みが一致した討論番組では、専門家やコメンテーターが政治や事件について侃々諤々の議論をするのに合わせて、私たち母娘までヒートアップ。これがまた、意見が合ったためしがない。それどころか、正反対になるのはどうしたことだろう。わざと逆の意見を言っているのでは? と疑念がわくほどであった。

意見が違ってもスルーできる性格ならば問題ないが、あいにく負けず嫌いだけは瓜二つ。テレビの議論が終わっても、まだ二人で言い合っていたものだ。

そういえば私の周りで、他人の意見に耳を貸した人や、自分の考えが変わったという人にはついぞお目にかかったことがない。ましてやわが母を変えるなど、なおさら無理だろう。生活の中のささやかなことをめぐって、私たち母娘は無益な言い争いを続けていた。

5日目の朝、我慢の限界に達した母親が「もう帰る」と言い出して、荷物をまとめ実家へ帰っていった。私から仕向けたつもりはさらさらないが、夫が出張から戻る日も近づいており、ちょうどいい頃合いだった。好きな時間に起きて、好きなテレビを見られることのありがたさを実感した。

そういえば、私が就職したとき、実家から通える距離の職場だったにもかかわらず、母は当然私が家を出るものと考えていた節がある。おそらくあの頃から、何となく私との合わなさを感じていたのだろう。

そう、悲しいことだが、実の母娘でも「性格の不一致」は確実に存在するのだ。だが両親がともに亡くなった今は、たった5日でも母と水入らずで過ごせたことは、それなりにいい思い出として残っている。

母が亡くなってしばらくしてから、「何から何まで合わない母娘だったんだよ」と夫に話すと、「でも、読書好きなところは似てるんじゃない?」と指摘された。絵本を読んでもらった記憶もなければ、読書を勧められたこともないけれど、どうやら母の遺伝子は、私の中にそんな形で存在しているらしい。

 


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