そうしてコロナになった。アメリカだろうが東京だろうが、行き来がまったくできなくなった。そしてあたしは熊本に居続けて、クレイマーといっしょにいる。ニコがここにいたらどんなにいいだろうと毎日考えた。パピヨンはこの辺にも数匹いる。どの犬も耳が大きく手入れがよく生き生きしている。ニコは老犬で、あの荒んだ気候の中で生きているから、毛並みがぼさぼさですすけていて、ひどく野性的なパピヨンだ。そのニコがこの日本の濃い草むらの中を歩くことを何度も何度も考えた。

カリフォルニアの荒れ地を歩き回ると、ニコは小さいし、毛が長いから、からだ中に草の実や花の殻がいっぱいくっついてしまうのだった。その草の実や花の殻をつけたまま、ニコはあたしのベッドの中に入ってきた。枕のひとつがニコ用だった。寝返りをうつとそこに草の実や花の殻だらけのニコがいた。

クレイマーとあたしが家からいなくなって、クレイマーの友人犬も来なくなった。ニコはひとりになった。サラ子が手厚く可愛がってくれようとしたのは知っている。夜はパグといっしょに二階に連れて上がってくれるのも知っている。「でもどんなにしても、ニコは自分で下に降りてしまう。階下の真っ暗なところでひとりで寝ている」と、あたしがこっちに帰ってきてからまもなく四月か五月ごろのメールに書いてあった。

それ以来、あたしはサラ子に、ニコがどうしてるか聞いていない。サラ子たちが心をこめて世話をしてくれているのは知っているから、だからこそかえって、どうしてるって聞くことができない。信頼して預けてきたんだから、ニコは大丈夫、幸せに生きていると信じていくしかないんじゃないかと思う。

ニコを日本になかなか連れてこられない理由がもう一つある。ニコの正式な飼い主はあたしじゃなくトメなのだ。あたしがニコを諸般の事情で手放しているように、トメもまた諸般の事情で(大学に入学して以来)手放している。あたしが日本に連れてきたらそれっきりトメはニコに会えないが、ニコがあの家にいるかぎり、トメが帰れば再会できる。四年間離れていようが四時間離れていようが、犬は同じように懐かしがり、うれしがるのだと、以前犬の訓練士に教えられた。

サラ子夫婦とパグの家庭ができている。ニコは夜中になると、ひとりで階下にひたひたと降りていって、おかあさん(あたし)のベッドはからっぽで枕もないから、しかたがない、昔はクレイマーがいつも寝ていた、だれかのおしっこのにおいやスカンクのにおいやいろんなにおいの染みついているソファに乗って、そこで寝る。あたしが、あたしの枕に寝ていいよと抱いて連れてくるまで待っていることができなくて、間に合わないで死んでしまうんではないか。なんだろう、この気持ちは、父や母や夫の衰えていくのを見ていたときにもいろんなことを考えた、その気持ちよりずっと強い。ずっと切なくて、ずっと悲しい。