でも、うまくはいかなかった。彼はただの暴君で、実家第一のマザコン男。この結婚は失敗だったと気づいた時には、子どもができていた。「早く子どもができすぎる。おれの子じゃあないんじゃないか」と彼は暴言を吐き、生まれた娘を見るや、「なんだ女か」とがっかりしてみせた。彼の両親も産室にきて、「次は男の子を産みなさいね」と口にする。

ああ、私は母と同じ道を歩もうとしている。夫に不満を持ちながら、このまま何人も子どもを産み続ければ、きっと子らに愚痴をこぼす人生を送ることになるのだ。

私は乳飲み子を連れ、家を出た。母と違って私が離婚を決意できたのは、資格を持ち、正社員としての職があったことが大きいように思う。産休が明けると、職場に復帰した。身を寄せた実家に彼がおしかけてきて、私に暴力をふるったが、服にしたたる乳をおさえながら家庭裁判所に出向き、何度かの相談員との面談を経て、悪夢の日々から解放された。その後、私はいまの夫と再婚することができた。

父が亡くなる1年前だったろうか。母から、「もうお父さんと別れたい。私には年金も貯金もあるんだから、アパートを探してきてくれ」と強い口調で頼まれた。しかし、私が物件を探して報告に行くと、「そのアパートに庭はないんだろ」と言う。しまいには、「あの男が出ていけばいいんだ。ここは私の家なんだから」と怒り出し、離婚の話もアパートの話もうやむやになってしまった。

金銭的なことで言えば、母は父と別れなくて正解だったろう。母のグループホームは、月14万円かかる。母自身の年金は2万程度だから、父の遺族年金である12万ちょっとを合わせて、なんとか生きていけるのだ。そもそも、アパートなんて借りられるわけもなかった。

しかし、精神面ではどうだったのだろう。相手に不満を持ち続け、子どもに悪感情をぶつける人生よりも、心穏やかに暮らしたほうが幸せではなかったか。兄は言う。

「あのキツい性格なら、親父と別れてほかの男と一緒になっても、うまくいくわけないさ」

そうなのかもしれない。父は亡くなる直前、弟に「お母さんはやさしくなかった」と嘆いたそうだ。父は母に普通に接してもらいたかったのに、叶わなかった。離婚しなかったばかりに。別の相手とだったら幸せな一生が送れたかもしれないのに。

ただ、そんな両親の選択を、私は否定することができない。私が資格をとることができたのも、資格のおかげで安定した仕事に就くことができたのも、DV男と別れる時に支えになってくれたのも、満足な子育てや再婚ができたのも、両親のおかげだと感謝しているからだ。

ただ、次に生まれてくる時は、仲のよい両親のもとで育ちたい。両親にも、来世は自分に合う相手をみつけて楽しく生きてほしい。


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