絵:石黒亜矢子
詩人の伊藤比呂美さんが『婦人公論』で連載している「ショローの女」。夫が亡くなり、娘たちも独立、そうして伊藤さんは20年暮らしたアメリカから日本に戻ってきました。現在、愛犬クレイマーと共に暮らす家に、この夏、新たな仲間が加わって―― 

クレイマーのどこがかわいいと言って、さあこれから散歩というとき、うれしさが抑えきれなくて、あたしの背後からすりすりとあたしの太ももに自分の首すじをなすりつけるとき。あごの下をなでてくれと押しつけてくるときもかわいいし、呼んだら応えて走ってきて、あたしの股の間に頭を突っ込んでくるときもかわいい。

つまりクレイマーが自分から、感情をうごかして、あたしのことを好きだということを伝えてくるときが、とてもかわいいのだった。

モーも同じで、いちばんかわいいなあと思うのは、自分から感情を発して見せるとき。

モーの場合は好きもへったくれもないから、つまりそれが、自分のベースに帰るときだ。

ふふふ、なんの話かって?

ロボット掃除機を買ったのだ。あの丸くて黒いやつ。

ずっとこの頃、ほんとにこの頃、家が汚いのが気になっていた。コロナであたしがずっといるようになり、クレイマーもずっといるようになり、何もかもが犬の毛だらけで、部屋の隅には毛が吹きだまっている。

あたしは毎日クレイマーを外に連れ出し、河原に行けば川に入らせ、山に行けば藪の中をほっつきまわらせ、海に行けば砂の中、泥の中、さんざん遊ばせる。クレイマーは、お外も好きだが、家に帰るのも大好きだ。泥足のまま、全身から砂だの細かい種子だのを振り落としながら、家の中に駆け込んでくる。

食べものをうっかり落としたら、拾って食べるのは当然と思っていたが、今はたちまち毛だらけになるから、とても口に入れられないのだった。

部屋の隅につもっている犬の毛が、古い白黒映画の西部劇の、砂嵐の吹きすさぶ荒野に吹きだまるタンブルウィードのようだ。つまり家の中が荒野のように荒んでいる。

アメリカに住んでいたときは、ここまでは汚くなかった。夫は朝ベッドを出るときに靴をはいて、夜ベッドに帰るまで靴を脱がなかった。つまりいつも土足だった。そして犬ならいつもいた。ここまで汚くなかったと思うのは、たんに家が広かっただけかもしれない。

掃除すればと思うのだが、それが、なかなか、おっくうで。休みの間ならやらないでもない。でも普段は仕事が犬の毛より山もりになっていて、とろろをすったり植物に水をやったりはできても、掃除機をかけるために必要な心の余裕がまるっきりない。