『たちどまって考える』(ヤマザキマリ・著 中央公論新社)より  

世界を駆けてきた漫画家で文筆家のヤマザキマリさん。1年のうち半分を東京で、残りを夫の実家であるイタリアで過ごしてきたが、コロナ禍で約10カ月東京の自宅に閉じこもることを余儀なくされているそう。そのヤマザキさん曰く、この自粛期間にあらためて「人生とは思い通りにならないもの」と痛感しているそうで――

※本稿は、『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋、再編成したものです。

ルシウスが昭和50年代の日本にタイムスリップしたわけ

私は『テルマエ・ロマエ』(KADOKAWA)の第1話で、古代ローマの設計技師ルシウスが最初にタイムスリップした日本の銭湯を、1977年に設定しました。その後連載が決まり、編集者のアドヴァイスを受けて、タイムスリップ先の舞台を現代に移したので、初回だけ設定が昭和50年代の東京になっています。

ルシウスのタイムスリップ先を昭和に設定したのは、あの時代であれば風呂から突然外国人が現れたとしても、「変な外人さんがいる」と、なんだかんだで周りも受け入れたのではないかと思ったから。

あの当時は映画でも「寅さん」や「トラック野郎」の星桃次郎のような素っ頓狂な人間が主人公になっていた時代ですし、戦中戦後に人々が向き合わされた、何も思い通りにならない現実や社会の無秩序の経験が、まだ人々の中に生きているように感じられたからです。

現代であれば、風呂からいきなり外国人が現れても、人々は見て見ぬ振りをしておきながら、その後SNSに「風呂から突然外人出てきた、ヤバイ」みたいな書き込みをして終わるでしょう。

私の母は昭和一桁生まれですが、その世代の人たちの「世の中は思い通りにならない」「何があってもそう簡単には落ち込まない」のレベルには瞠目(どうもく)すべきものがあります。子どもの頃に壮絶な経験と向き合ってきた戦中世代のおばあちゃんたちには、「落ち込んでなんぼ」の精神が宿っていて、大概のことでは動じません。多少の失敗をしたところで、「だからなんだってんだよ、どうってことないじゃないか、そんなこと!」とダイナミックな解釈を展開していく様を、私は傍で目撃してきました。