イラスト:丹下京子
死んだらスッキリするかと思いきや、今なお私の心を乱すあの人。生前も死後も、なぜこうも苛立たせるのか──(「読者体験手記」より)

いつも姑を優先し、私や子どもは後回し

姑が100歳で天寿を全うしたその半年後、突然倒れた夫は意識が戻らないまま、たった1週間ほどで逝ってしまいました。

生活に支障がない程度の認知症の症状はありつつも、私たち夫婦と同居していた姑は、96歳のとき、突然胸の苦しさを訴えて入院。無事退院できたが、入院中に認知症が進行してしまい、ほかの病院でお世話になることになりました。症状が少し落ち着いた頃に、介護老人保健施設へ。夫は1日おきに姑の顔を見に行き、世話をしていました。

しかし、老人保健施設に長くいるわけにはいきません。施設の方から特別養護老人ホームに申し込んだらどうかと話を持ちかけられましたが、そのとき夫が発した「家で母を看たい」との言葉に、私は唖然。誰が面倒を見るというのか。夫は持病の腰痛が悪化し、自分のことすらままならない状態だったのに……。結局、施設の方のアドバイスを受けて、ホーム入居に夫も渋々同意。私はほっと胸をなでおろしたのです。

それからも夫の献身は続きました。施設の方も驚くほど熱心に通い、世話をする日々。昔から姑のことになると周りが見えなくなる人ではあったけれど、妻としては複雑な気持ちでした。

そんな生活が3年ほど続いたある日、姑の死を告げる知らせが届きました。このとき夫が放った「俺がずっとそばにいてやればよかった」という言葉に、二人の間には血縁ではない私などには計り知れないほど強いつながりがあるのだと思い知らされたのです。そうか、それほどまでに一心同体だったのか、と。

夫と私はともに元教師。同僚として知り合い、結婚しました。育ちの違いからくる違和感を覚えることはあったものの、共働きをしながら、2人の子どもにも恵まれることに。夫は職場では積極的で、教師の仕事に熱意とプライドを持っていました。しかし家庭に関しては、非常に保守的な考えの人。争いごとを嫌うため、姑に対する私の不満はすべて夫の内で処理されていました。

私が大きな不満を感じたのは、夫の収入がすべて姑に渡っていたこと。母親に渡しておけば間違いないと、生活費の管理をゆだねていたのです。子どもの教育費がかかるようになった頃、姑に渡すお金を減らすよう提案したものの、夫は受け入れてくれませんでした。私が夫のお金を管理できるようになったのは70代に入ってから。このときは、スーパーに行って好きなように買い物ができるだけで、嬉しい気持ちになったものです。

こんなふうに夫はいつも姑を優先し、私や子どもは後回し。私は夫にとってどういう存在なのだろうかと、不満を抱えながら過ごしていました。