イラスト:橋本裕子
年を重ねてからの結婚は、親の反対、子どもの反発、周囲の冷たい目など、いくつものハードルが待ちかまえていて──小林さつきさん(53歳・仮名)の場合、「運命の相手」と結ばれるまでに紆余曲折を経たそうです。(「読者体験手記」より)

愛情のある結婚を求め続けていた

「2人の結婚に賛同していただける方はベルを鳴らしてください」。司会をしてくれた友人の言葉で、80名ほどの参列者が、いっせいに小さなベルを鳴らした。高く澄んだ音色が、私たちの門出を祝福するかのように爽やかに響く。

私と夫は48歳。出会いから38年目に、高原の湖近くのレストランで人前式を挙げた。「せっかくだからお祝いしようよ」という友人や家族たちからのありがたい提案で挙行された結婚式。夫は23年勤めた東京の企業を早期退職して、私と暮らすために故郷へ戻ってきた。「寿退社だね」と、かつての上司や部下に冷やかされ、照れながら笑っている。

私は、「今さら、これ着るんだ」と女友達にからかわれながらのウェディングドレス姿。「とっても、きれいだ」。試着した時に嬉しそうに言った夫の一言で、着るのを決断したのだ。

この結婚に至るまでの道のりは、長く曲がりくねっていた。結婚すると告げた時、ある人は「いい加減にしてよ」と。無理もない。私は再々再々婚、つまり5回目の結婚だからだ。自分自身、まさか人生の折り返し点を過ぎて、5回目の結婚をするなんて考えてもいなかった。

私は私生児としてこの世に生を受け、3歳で実母と死別。その後、血縁のない養父母に引き取られ、跡取りとして育ててもらった。子どもの頃から養父母に教えられたのは、婿を迎えて男の子を産むのが私の役割だということ。

私は、その教えに従って、22歳で最初に一緒になった男性は、保守的な養父母と合わず、1年足らずで破局した。2回目の結婚では2人の息子をさずかったが、次男が生まれた頃から、夫は殴る蹴るのDV男に豹変。養母からも「このままだと殺されてしまうよ」と言われ、7年目に子どもを引き取って別れた。3番目の夫は私の稼ぎを高級外車につぎ込む浪費男。すぐつまらない嘘をつく相手に疲れて4年で離婚。

「もう結婚はしない」と考えていたが、友達の紹介で知り合った男性の優しさにひかれて、4回目の結婚を決めた。その頃長男がいじめから不登校になり、次男に発達障害が見つかる。手が焼ける義理の息子たちに夫は、父親になるのは自分には無理だ、と養育をいっさい放棄。当然、息子たちは夫になつかず、私自身も両者の板挟みになって疲弊し、10年目に結婚を解消した。

結婚は1人ではできない。もちろん私にも反省すべき点はあるだろう。しかし、私は上辺だけの結婚生活を続けたくないのだ。父親を知らず、実母と早く死に別れたからか、私は愛情のある結婚生活を求め続けていた。