もしかしたらあの頃、あたしの子どもだった頃は、社会全体が今ほどマスクしてなかったんじゃないか。

日本人はよくマスクをするなあと思い始めたのは、アメリカに住みついてからだ。子どもを全員連れて引っ越ししたのが1997年、SARSで大騒ぎになったのが2003年。空港なんかで(ああ、その空港も、しばらく行ってない)全員マスクの日本人の団体を見かけて、異様だなあと思ったのも、その頃だったんじゃないかと思う。

アメリカは、マスクはしないが、ゴムの手袋はする文化だった。医者も看護師も介護士も、人のからだに触れる職業の人はこまめにゴムの手袋をはめ、人のからだに触り、それを捨てた。婦人科の内診ならゴム手袋も当然だと思うが、夫がしばらく入っていたリハビリ施設でも、彼を車椅子から乗り降りさせるたびに職員が手袋をはめて夫を動かし、そして手袋を捨てるので、「自分が汚いもののような気がする」と夫が言っていたのを覚えている。そしてその頃、日本の医者や看護師は、生の手で、へいきで、体液いっぱいの生きた人間に触っていたもんだ。

2018年にあたしは日本に帰ってきて東京の町を歩くようになった。そしたら東京はマスクの人だらけになっていた。カラス天狗みたいな人もいた。地下鉄の光景がそのままファンタジー映画の一場面に思えた。

コロナが来てマスクが買えなくなってから、熊本のこの辺りでは老人会が集まって、集まっちゃいけないだろうと思うのだが、それでも集まって、マスクを作った。当時はゴムも払底していたから、肌色のストッキングを輪切りにして代用した(未使用だからねと老人会の人たちに念を押された)。あたしにも四枚くれた。

それで二枚を、ベルリンの友人に、出たばっかりのあたしの本『道行きや』もいっしょに国際スピード郵便(EMS)で送った。ベルリンでもマスクが不足していて、友人が病院通いをするのに困っていると言ってたからだ。EMS、ドイツには送れた。

みなさん知ってるだろうか。今、海外に荷物を送れない。コロナからこのかた、この国もだめ、あの国もだめと郵便局に行くたびに送れない国が増えていった。戦時中ってこんな感じかなとそのたびに考えた。

娘たちもマスクが買えないと言っていた。もうすぐアベノマスクが来るから送ってあげようか、だいじょうぶ、自分で作ってるよなどとやりとりしているうちに、アメリカにも送れなくなった。あたしはこまごまと物を送ったりしない、誕生日もクリスマスも忘れっぱなしの薄情な母、薄情な祖母だ。でも送らないのと送れないのはぜんぜん違う。遠くて遠くてたまらなくなった。

さて、あたしはどこにも行かないが、日々の買い物はしなきゃならない。スーパー、ホームセンター、パン屋、ガソリンスタンド。

老人会謹製のマスクが車の中に置いてあり、車から出るときにシャッとかける。ずっと同じのをかけてるから、臭いっちゃ臭い。

でも子どもの頃と違うのは、給食当番の、三角巾とガーゼのマスクを理由もわからずに強制されるのとは違って、コロナ対策というハッキリした目的があるってことだ。

なぜマスクするか、どこをどうおおえばいいのかも理解した。手の洗い方もきちんと知った。痛い(臭い)ことも、その理由をちゃんとわかれば痛くない(臭くない)ってのは、アレだ、その昔、ラマーズ式無痛分娩法で勉強した、なるほどと考えたわけ。