イラスト:マルー
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。今回のテーマは、「エッセイとはなにか」。エッセイを長年書き続けている阿川さんも、改めてそう聞かれると……

本誌連載「ショローの女」でもお馴染み、今は熊本在住の伊藤比呂美さんと遠隔で対談をし、エッセイ論で盛り上がった。伊藤さんが最近上梓なさった『道行きや』の話題になったとき、

「この本の取材を受けたらみんなにエッセイ集エッセイ集って言われるんだけど、あたし、これ、エッセイのつもりで書いたわけじゃないんですよねえ」

伊藤さんらしい気さくな物腰で、しかし勢いのある語気で呟かれたのでこちらは驚いた。

「え、これ、エッセイじゃないの? じゃ、フィクションってこと?」

しかしこの本の中には、カリフォルニアの家を畳んで熊本に移り住んだことや、そのとき愛犬を同伴した末や、早稲田大学で授業を持ち始めた話など、私が知りうる限りの事実が確実にちりばめられている。にもかかわらず伊藤さんは、

「あたしはこれ、詩のつもりなんだけど、詩って言っても通用しないだろうから。でもいわゆる皆さんが思っているエッセイとは少し違うような……」

ここで伊藤さんから質問が飛んできた。

「ずっと悩んでいることなんですが、エッセイと小説の違いがわからないんです。エッセイってなんなの?」

私は思わず言葉を詰まらせた。改めてそう聞かれると、どう説明したものか。

「たぶん……」と自信なく語り出す。

「たぶん、エッセイとは、読者が『このエピソードは著者が実際に経験したことなんだな』とか『今、著者はこういうことを考えているんだな』とか、読者にとって書いた人間に共感したり、著者と連携できる読み物であって。反対に小説は最初から作り物と思いつつ、そこに作られた別世界で遊ぶことができる楽しさがあるのでは?」

そんなようなことを申し上げたところ、詩人の伊藤さんがおおいに納得してくださり、

「そうか。作者と読者が連携できるのがエッセイという意見は非常に参考になりました。今度、授業で使わせてもらうかもしれない」と言われ、私はアタフタしながら「じゃ、またね」と画面をオフにしたのだが、対談を終えたあとも、この問題は私の頭にウジウジと居座った。