絵:石黒亜矢子
詩人の伊藤比呂美さんが『婦人公論』で連載している「ショローの女」。夫が亡くなり、娘たちも独立、そうして伊藤さんは20年暮らしたアメリカから日本に戻ってきました。乗っていた車の調子がとんでもないことになったという伊藤さん。世話になっている中古車屋さんで、出会ったのは――

車を買った。

車を買うって人生になかなかないことだなと思いながら買った。

木を植えたときも(カリフォルニアの家の庭にコショウノキを植えた。今は大きく育って葉がわさわさと枝垂れている)そう思った。ピアノを買ったときもそう思った。犬を飼い始めたときも毎度そう思った。

今の車は日本に帰ってきたときに買った。あたしは二年半しか乗ってないが、その前に知らない人が12年乗ってたから、かなり古い。それでしょっちゅう故障した。修理の人に何度も見せたが、その都度、まだだいじょうぶと言われてきた。

それが今度ばかりはとんでもないことになっていて、アクセルを踏むと、あたしは80年代の暴走族漫画をそれはそれは愛読したものだが、あんな感じの効果音がウオンウオンウオンとひびきわたる。その爆音の合間にカタカタカタカタと金属音もする。不気味である。何かが取れかけているんだと思う。

その上ここ数週間うまく坂をのぼれない。思いっきりアクセルを踏んでも、ウオンウオンウオンとうなりながら、ほとんど後ろへ下がっていくような気がする。サンフランシスコではこわかったなあと思い出すが、熊本の坂はもっと緩いおとなしい坂だ。

中古車屋さんに見てもらったら、買ったほうが早いと言われた(驚かなかった)。この中古車屋には、今の車を買うときに世話になった上に、鍵があきませんとかぶつけましたとかで何度も世話になっている義理があり、そのままそこで車を物色し始めた。