入社するとナオさんは初め「人事部」の教育部門に配属された。新入社員のマナーとエチケット指導など従業員教育をするという、本人が希望した部署だった。そこでの仕事は面白かったが、その後あっちこっちの部署に異動させられてしまう。

「総合職じゃないのに、頻繁に異動がありました。初めは東京の本社にいて、営業職員の教育をする部署から、保険の審査、査定、支払いの部門へ。一度体調を崩して入院、そのあと会社に復帰したら、こんどは通勤に2時間かかる、通いづらい勤務地へ異動になった。戻してほしいと頼んだら、また別の部署へ。そのとき配属になったのは、法人に向けて個人保険を売るところでした。通常、法人部は法人の団体定期保険を売っているのですが、団体保険にくっつけて個人保険も売りはじめたのです。そののちには、銀行の窓販(まどはん:窓口販売)なんかもやることに。とにかくものすごく忙しかった……ひどい時では朝8時から夜10時半まで働き通し。で、2時間かけてうちに帰ってとりあえずごはん食べておふろ入って3時間寝てまた会社に行く……という生活がずっとつづく、みたいな」

彼女の話を聞きながら、あぁ〜そういえば私も3時間だったな……と、あの頃を思い出していた。

あの頃とはまさにヘイセイのアタマ、出版社に転職してから最初の数年は、あたりまえのように夜が明けるまで仕事していた。

会社を出て始発電車に乗って(タクシーは夜中なかなかつかまらなかった時代、朝方になると道がラッシュで混むので電車のほうが早く帰れる)私も実家から通っていたので長く電車でウトウトした末、うちに着いて1、2時間寝たと思ったら電話で叩き起こされてまた出かける。

そんな日々を送っていたのは、私一人ではない。同業者……いや、いま考えてみるとあの頃日本じゅうで、社会に出たばかりの若者が、男女関係なく──キントウホウの号令のもと、慣れない仕事に追われ、先輩に怒鳴られながら、歯を食いしばっていたのである。「バブル」というと遊んでばかり……のイメージがあるかもしれないが、平成バブル期というのは仕事量までバブルのごとく膨らんでいたように思える。

当然仕事というのはどの世界においても厳しくて、それを始めるときには受け入れ耐えねばならないことは、いつの時代を生きる人にとっても公平にあるはず。しかしながらやってもやっても仕事が終わらなかった時代……「バブル」と聞くと、いまでもそんなイメージだ。

なぜ、あんなによのなかじゅうが大忙しだったのだろう? これって日本だけ……?

まもなく日経平均が4万円近くに上がり、史上最高値の株価を記録した1989年の終わり、ベルリンの壁が崩壊、米ソ冷戦が終結、世界に激震が走ろうというなか、日本のヘイセイガンネンズも走っていた。山積みの仕事を前にして、いくら働いても仕事が終わらず徹夜ばかりしていたあの時代──を同じく生きた女性たちはいったいどうしているだろう。

いま30年の時をこえて平成バブルを再考しつつ、私は「彼女」を、訪ね歩くことになった。
つづく