イラスト:飯田淳

 

バブルまっただなかの平成元年。
出版社で働き始めた著者と
大手生命保険会社に就職したナオさん。
仕事に燃える彼女たちを待ち受けていたのは─

第3回 幻のキントウホウ

2016年に日露首脳会談でプーチン大統領が来日したさい、料理人をロシアから連れてきていたという話を聞いて、私は漢方薬の件を思い出した。

保険会社を辞めて、平成元年に出版社の雑誌編集部に移った私の最初の仕事は、ボスが毎朝飲む漢方薬を煎じることだった。

飲み薬をつくるのは新人の仕事。私にボスを暗殺することはカンタンだったといえる。魔女が毒リンゴを鍋で煮ている図をいま思い浮かべた方へ念のため、漢方薬には専用の小さな煎じ器が付いており、それを使って薬をつくっていた。いかにも苦そうな、そのこげ茶色の汁のにおいを私は嫌いではなかったが、よく知らない若者にそれを任せていた当時のボスは無防備だったなあ……といまあらためて思う。

また、ボスは近所にあるケーキ店・近江屋さんの1リットル牛乳を好み、しょっちゅうそれを買いに行かされた。近江屋の牛乳はガラスの大瓶に入っており、生まれたての赤ちゃんほどの大きさがあった。私はそれを抱っこするようにして、会社へ向かうゆるい坂道をのぼった。暑い日には瓶が冷たくて、気持ちがよかった。

漢方薬や牛乳に毒を忍び込ませることはいつでもできたが、私にその必要はまったくなかった。私はとても幸せで、新しい仕事に夢中だった。漢方薬を煎じ、牛乳瓶を抱え、駅前の京樽でボスのお弁当を買った。

それ以外の仕事といえば、郵便物の発送と、お使い─主に小説の挿絵の受け取りである。雑誌は読み物が中心で、そこにはたいてい挿絵が入る。当時の原画は現物のみ、の取り扱い注意物品であったため、イラストレーターさんの家まで必ず誰かが取りに行っていた。
私はこのたび、こちら『婦人公論』に書かせていただくことになって、本号で3回目を迎えているが、連載前の打ち合わせで編集者の方にこう訊かれた。

「イラストは、どなたにお願いしましょうか?」

その言葉を聞いて私は、胸がいっぱいになったものである。

─おお……そうか〜、『婦人公論』は文芸誌だったのだな……。

こんにち文芸誌は減ってしまったが、当時の文芸誌に、文芸だけでなく音楽の特集なども取り入れて、それまでになかった〈まったく新しい文芸誌〉づくりにチャレンジし、成功していたのが当時の私のボスであったのだった。