ところで、新米の私がひるむことなく海外取材へ行けたのは、卒業旅行のおかげである。1987年(大学4年生)の年末に、私は生まれてはじめて日本の外へ出た。当時仕事が好調であった父に、アメリカを西から東へ横断する大旅行に行かせてもらった。行く先々でハプニングに見舞われて、外国人とのコミュニケーションに、多少慣れていたのだ。

初の海外行きは旅行会社の手違いで、ビジネスクラスに座ることになった。ゆったりとした席で毛布をぬくぬくとかぶり、美味しい食事をいただいて、約10時間の空の旅をした。

降り立った夜のサンフランシスコ国際空港の美しさを、いまも忘れることができない。

着陸のアナウンスが告げられると、眼下に見たことのないオレンジ色が拡がって、小刻みに震えていた。その光を追いかけて、飛行機の小さな窓に顔を押しつけた。

国際線に格別のロマンを感じる。全日空が国際線に進出してまもなく社会に出ている世代である。思春期から眩しく感じていた欧米が、いよいよ手の届くところに。

新しい時代がはじまる空気に、浮き足立っていた。

私の場合は小学生の頃から千葉県に住んでいたので、成田の開港問題(成田闘争)も記憶している。商社マンの父は仕事柄、海外出張が多かった。母の運転で成田へ父を送るクルマに同乗して、暗く深い森の奥へ、世界につながっている道をかよった。その先にある太平洋を越えて、自分がアメリカ大陸の地を踏む日が来るなんて、夢のようだった。

そんなわけで、なにをかくそうじつは私も、就職活動期に航空会社を受けた女子大生の一人であったことを、ここで白状しておく。