1962年、自宅の書斎で楽譜をめくる古関裕而(写真提供:古関正裕さん)
NHK連続テレビ小説『エール』で、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、名作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)だ。今週は、娘・華の結婚、そしてオリンピック・マーチ作曲が描かれている。古関の評伝を書いた刑部芳則さん(日本大学准教授)によれば、スポーツ音楽を多数手がけた古関は、意外にも運動を苦手としていたそうで……

※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです

3代目の「巨人軍の歌」──闘魂こめて

古関の勇壮なメロディーがスポーツ音楽に適していたことは、すでに述べてきた。読売巨人軍の応援歌は、昭和14(1939)年に初代の「野球の王者」を古関が作曲し、同24年に2代目の「ジャイアンツ・ソング」を米山正夫が作曲した。そして昭和37年に現在も使われている3代目を作ることとなった。

昭和37年11月に歌詞募集を行ったところ、12月15日の締め切りまでに2万892点の応募が集まった。昭和38年1月10日に西条八十、古関、読売巨人軍監督・川上哲治(かわかみ・てつはる)らの最終審査を経て、同月19日に椿三平の作詞に決まった。

『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)※電子版もあり

読売巨人軍創設30周年を記念して作られた「巨人軍の歌」は、「闘魂こめて、大空へ、球は飛ぶ飛ぶ、炎と燃えて……ジャイアンツ、ジャイアンツ、ゆけゆけ、それゆけ、巨人軍」と、今も歌われているため、ご存知の方も多いだろう。歌い出しを取った別名「闘魂こめて」で親しまれている。「巨人軍の歌」は、昭和38年3月に発売されたが、一番を守屋浩、二番を三鷹淳、三番を若山彰が吹き込むという、異色の形を取っている。

ところで、出世作である「紺碧の空」に始まり、生涯に数多くのスポーツに関する音楽を作曲しているが、古関自身はスポーツが苦手であった。「小さいときから運動神経が鈍いほうだった」、「走りっこも学校時代は一番ビリだったし、跳び馬なんかもできないし、金棒にぶらさがることも不得手だった」という。

そのコンプレックスをばねにして、「実技としてのスポーツはできないけれども、音楽の上でスポーツをやる」、「明朗なはぎれのいい音楽を書きたい」との意欲から、力強いスポーツの名曲が生まれたのである。古関の意外な一面がうかがえる。