イラスト:マルー
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。今回のテーマは、「同世代の友達」。見知らぬ時代の空気や価値観を感じたいと異なる世代の友達を意識的に作ってきた阿川さんですが、ある若者の言葉に……

長らく私は、異なる世代の友達をたくさん持っていることが大事だと信じていた。はるか歳上の人(そういう人がだんだん少なくなってきたけれど)、あるいは、はるか歳下の人と話していると、自分の知らないことを知る機会になる。見知らぬ時代の空気や価値観や、もっと具体的に言えば音楽、文化、流行、言葉、リズム感……。彼らと一緒に興奮することはできなくても、ときに反発したくなる瞬間があっても、異世代交歓会には価値がある。そう思って生きてきた。

歳上の人に学ぶことが多いのは当然のことながら、若い世代と仲良くするもう一つのメリットをあるとき発見した。

94歳で亡くなった父は晩年、毎日のように悲観していた。

「あいつが死んだ。こいつも死んだ。週に一度の割合で葬式に行くのはつらい。あー、嫌だ。あー、情けない」

同世代の訃報が届くたび、怒りと悲しみの混ざった声で嘆いていた。新聞の死亡記事をチェックして、知己でなくても年齢を確認し、

「俺より三つも歳下なのに死んでるぞ。あー、嫌だ。あー、情けない」

父にしてみれば、話や心の通じる同世代が一人、そして一人と現世からその姿を消していくことが、そこはかとなく憂鬱であったらしい。その点、母は達観していて、父の聞こえないところでこっそり、

「しかたないじゃないねえ。人はいつか死ぬんだから」

そう言って、大げさに嘆く父を横目に肩をすくめていたものだ。

そんな両親を見て私はふと思いついたのだ。

同世代の友達だけを真の友達と思っているから喪失感に襲われるのではないか。若い友達をたくさん作っておけば、同世代の友達がいなくなったあとも寂しくないだろう。

そう気づいたのはたしか30代だったと思う。その後、私は実際、いろいろな世代の友を得た。仕事柄、職業や年代の異なる人と出会う機会にも恵まれていた。

「またご飯でも」
「ぜひぜひ!」

単なる社交辞令に終わることは多い。が、ときどき実現するときもある。さらにそのやりとりを反復する仲となる場合もあった。こうして私はいつしか、下は中学3年生、上は80歳の、師弟関係でも仕事の付き合いでもない友人を持っていた。そしてその現実を誇らしく思った。