絵:石黒亜矢子
詩人の伊藤比呂美さんが『婦人公論』で連載している「ショローの女」。夫が亡くなり、娘たちも独立、そうして伊藤さんは20年暮らしたアメリカから日本に戻ってきました。現在、愛犬と熊本に暮らしています。今年9月に発生した大きな台風の上陸を前に、隣人に養生テープをもらった伊藤さん。不器用ながらに窓に貼ろうとしましたが――

大きな台風が来るということだった。

その名も台風10号。今までに経験したことのないような台風になります。最大風速は50メートル、雨量は500ミリ、伊勢湾台風に匹敵するような大型台風で、自分の身を守ることを最優先してくださいなどとテレビやラジオで専門家が顔をこわばらせて言いつのるものだから、あたしも不安になり、とりあえず庭の植木鉢を、飛ばされないような場所に移していたとき、垣根越しに見た隣の家がなんだか異様なふんいきになっていた。

窓という窓に、緑のテープが、縦横斜め十文字のユニオンジャック型におどろおどろしく貼られてあった。ハロウィーンかと一瞬思ったが、そうではない。台風だ。

あたしの住んでるのは住民一同とても仲のいい集合住宅なので、さっそく隣の家に行って「あれは何?」と聞いたところ、隣人が言うには、これは養生テープというもので、貼りやすくがしやすい、剥がした痕が残らない。窓に中から貼っておくと、窓が壊れたときに片づけやすい。養生テープ、今はもうどこでも売り切れだが、うちにまだあるからと三巻きもくれたのだった。

さて考えた。聞けばこのテープ、ガラスが割れるのを防げるわけではなく、散らばるのを防ぐだけのようだ。だったら片づける手間も困る度合いも同じじゃないかと思ったが、なにしろ隣の善意の養生テープ、名前からして人の情けがいっぱいつまっている。万が一使わないまま台風の被害が出たら、隣人の善意も無になるだろう、隣人たちは何と思うだろう、などと考えた末に、小心者のあたしはテープを貼ることにした。