イラスト:飯田淳

 

女性が活躍できる仕事を求め、
CA(キャビンアテンダント)となったユキさん。
仕事、結婚、出産......、華々しい人生を語る彼女の姿に、
筆者は休みなく働いていたかつての自分を思い出す

第6回 新人編集者と湾岸戦争

ボスの雑誌で初めて私が担当した連載は、競馬場を舞台にした物語だった。

週末は毎週のように競馬場へ出かけたが、バブル景気の頃、競馬終わりの満員電車はひどいものだった。あれから30年。競馬場へ行くことはなくなったが、重賞レースはいまもテレビで見る。

まず、馬は文句ナシにカッコイイ(競走馬はたいへんだ……と思うこともあるが)。さらに画面をとおして競馬場の熱気を感じ、よく晴れた空に響くラッパの音に耳を傾け、新人編集者だった時代の空気を嗅ごうとしている。

連載の書き手は芸能人で小説を書くのは初挑戦、つまり原稿を書く人も、原稿を取る人も新人、だった。

原稿が上がると自由が丘にあったタレントIさんのご自宅へ原稿を取りに行き、そこで小説を二人で直した。ああでもないこうでもないと話し合った結果を原稿に反映させるのは私の仕事で、Iさんと別れたあとは「帰社」して、作業した。

保険会社では一日中社内にいたので、都内のあっちこっちへ行き、知らない人たちに会えるのは面白かったが、外へ出かけて用事を済ませると、必ず「帰社」しなくてはならなかった。一度「帰社」すると、そこからなかなか「帰宅」できない。というよりさせてもらえなかった。デスクの先輩のオッケーが出るまで、家には帰れないのだ。見えないバリアがあり、「抜ける」のに難儀したのが編集部という場所だった。

私は深夜に腹痛を起こすことがあって、そんなときは編集部のコーナー奥の小さなロッカー室に、段ボールを敷いて横になった。

それでも、〈ゲラ刷り〉とよばれる校正用の印刷物に赤字を入れるときはいつも、しみじみと嬉しかった。

作業が終わると朝方タクシーで、もしくは始発電車で、帰っていた。私の家は遠かったので、タクシーで帰るときには、乗車中に運転手さんと話し込むこともあった。

ある夜、美空ひばりさんが亡くなった。

深夜に乗ったタクシーで、ひばりさんの唄が流れると、運転手さんがさみしそうに零した。

「昭和が終わっちゃったねえ……」

昭和天皇の崩御のときにはまだ実感のなかった、戦後の終わり……がはじまっていた。