初めて自分で取ったのは、ミュージシャンKさんのインタビューだった。

「私の好きなこの一冊・この一枚」という、月替わりでいろんな方に、本やCDを挙げてそれについて語っていただくというページの担当になったからだった。

人気ユニットのコンポーザー兼キーボーディストだったKさん、その後ミリオンヒットをぞくぞく生み出す名プロデューサーとして活躍した。人気絶頂のアーティストに取材の了解を取り、話を聞いて、自分で原稿を書くことになった。初めてぜんぶ一人でやる取材に私ははりきっていたが、Kさん超多忙につき、すぐに会うことはかなわず、電話取材が決まった。

約束の日、録音するための専用イヤホンを耳にぐいと突っ込み、おへそをデスクの中心に向けて、指定された時間きっかりに電話をかけた。たしか夜の9時くらいだったと思う。Kさんはガンズ・アンド・ローゼズのアルバムを挙げて、ていねいな優しい口調でたくさんお話ししてくださり、インタビューはぶじに終わった。ところが電話をきったあと、黒い小型テレコを確認したところ、音が聞こえない。えーっ!? 録音が出来ていない……? カセットテープを何度もチェックしたが、やっぱり録れていない。

私は青ざめた。

「……」

全身の毛穴が開いて冷や汗が噴き出してくるなか、すぐさま私は脳を全開にして話の中身を思い出し、いそいでペラ(200字の原稿用紙)に向かった。だーっと一気に書いて、あっという間に800字ほどの原稿が出来上がった。あの充足感は忘れられない。しかもその原稿は、デスクの先輩に一発オッケーをもらった。

あのとき私は書くことを好きだと思った。しかしそこから「書く専門」の人になるまで、30年かかる。

「編集者」は基本、書いてはいけない、ということになっていた。編集部の先輩からそう言われていた。なぜなら原稿を「書く」のと原稿を「みる」のは大違いなのだ。それもいまなら、わかる。

ほどなくして担当ページが増え、担当作家も増え、特集ページも、じきに任されるようになる。最初は先輩のサポートで入って表紙やグラビアを撮り、ロングインタビューを取り、対談などもおこなって、ページを作った。毎月のように大物アーティストたちの特集づくりに携わった。

当時はほんとうによく手紙を書いた。登場してほしい作家や役者、アーティストたちに、もしくはそのマネージャーさんに、いつも手紙を書いていた。

手紙を書くには彼らの活動や作品をよく知らないといけないので、いろんなジャンルの本を読み、音楽を聴いた。そして手紙を書いては見本誌とともに送る。登場してくれることが決まるとそのご本人はもちろん、ページにかかわってくれるライターさんやカメラマンさんなどスタッフたちのスケジュールを調整し、撮影スタジオかホテルを予約し取材する……といった仕事を繰り返す。