国内航空会社のCA=キャビンアテンダントであったユキさん(51)に、前回より話を聞いている。

彼女は、国際線に乗り始めてまもなく、湾岸戦争を経験した。

「バブルまっただなかの平成元年に入社して、2年ほどはいい時を過ごさせてもらいました。すべてにおいて『手厚い』時代でした。社員に手厚いだけでなく、(お金は)お客さんにも使い放題。会社はまさに大きくなろうとするときでした。魅力的な会社に、『失敗してもまた頑張ればいい』と、おおらかに育てていただいた。先輩たちにも恵まれて」

ふむふむ、まさに私も会社の先輩たちに対して同じ気持ちだと、ユキさんの話に相槌をうつ。彼女の会社の〈良き時代〉の話はどこか、私がいた会社の往時を彷彿させる。創業期には初航路を飛ぶがごとく、「とにかく頑張ろう、おう!」と言って団結していた会社だった。

「私は最初から国際線に乗ったのですが、フライトが何時間続いても平気だった。一回だけ耳下腺炎を患ったくらいで、まだ若かったし、景気もよかった。ところがまもなくバブルがはじけ……というより、大きかったのは湾岸戦争ですね。戦争が始まって、お客様が途絶えたのです」

一機にお客さんが10人もいないような状態が、しばらく続いたという。国際社会の迷走と中東の争乱は、極東のヘイセイガンネンズにも及んだ。そうこうするうち、素敵な会社の「手厚い」時代は、終わりに向かう。

「会社が契約社員制を導入したのは、たしかその翌年くらいからでしたね。バブル崩壊と湾岸戦争のせいで、これからむずかしくなってくるよね、会社としての方向性をどうするか……先を見ていかなきゃねっていうモードに、入っていったのです」

これからどうなっていくかわからない——。そうした時期を、その社の一員として受け止め、会社が変わっていくところまでは見届けられなかった。そのことが悔やまれると、ユキさんは話す。

「会社がいちばん拡がったときに、私は乗っていて。当時は新路線、新路線って拡大していて、下っ端は『ハイわかりました』ってやっていればいいだけだった。湾岸戦争後すぐに退社したわけではないけれど、たいへんだったのは、あれからしばらく経ってからだったかと——」

残った人たちは、バブル崩壊後の混乱と不安定な国際情勢を乗りこえた。それを一緒に体験したかったと彼女は言う。

ユキさんの〈会社ラブ〉が、いま見えた。

自分のいた場所がどういうところだったのか、離れないとわからない。私の場合はよく夢を見ていた。やめたはずの会社に戻っている夢、だった。(つづく