イラスト;マルー
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。この数年で夫婦双方の親を見送った阿川さん。秋のある日、それぞれの親が眠るお墓にお参りにいくことになりましたがー

彼岸が過ぎ、シルバーウィークの喧騒が収まった頃、私はようやく親の眠る墓へお参りに行った。恥ずかしながら実にもって「ようやく」である。

父が亡くなったのが五年前の夏。その翌年に夫の母が他界して、去年には夫の父が息を引き取り、そして今年の春、新型コロナの渦中に私の母が亡くなった。ここ数年で夫婦双方の親がバタバタといなくなったことになる。もちろん、葬式、四十九日、一周忌、三回忌などの仏事のたびに墓所へ赴いて、墓の前で手を合わせてはきたけれど、そういう「特別日」以外の墓参りをついぞしたことがない。無礼極まりない子孫なのである。

それもこれも、親の教育が悪かった。父は私が幼い頃からことあるごとに叫んでいた。

「俺は無信心論者だ。覚えておけ」

そういう父のおかげで私はお盆の意味も葬儀に関する常識もことごとく無知のまま育った。初七日、月命日、初盆などという言葉を知ったのは大人になってからのことである。まして父母とともに先祖の墓参りをした記憶はほとんどない。かろうじて父の故郷である広島の伯父伯母の家に遊びに行った折など、「せっかく来たのだからお墓参りに行きましょう」と伯母に誘われ連れていかれたが、心の中では「面倒くさいなあ」と思う不届きな娘であった。