イラスト:飯田淳

 

ボスが築いた新しい“城”で、メンバーと
家族のように過ごす日々。外資系の証券会社に
転職したヤエさんも、仕事に打ち込んだ。
会社や会社の人を、家族のように思いながら――

第15回 新会社、はじまる

ロビンとの約束通り、私は自分で表紙を決めた号まで雑誌を作り、3ヵ月遅れでボスの興した新会社に合流した。

1994年2月1日、東京・新宿区四谷の裏通りにある建物の2階に上がり、扉を開けた。
その瞬間の絵を、私はいまもはっきりとおぼえている。

狭いワンフロアに、3、4個の机をひとつの班にした島が2つ、一番奥に、「社長」になったボスがいた。

私を出版の世界に引き入れてくれたボスが、独立して初めて持った、自分の城だった。

小さなビルの一室で、私たちは初出版へ向けて、仕事を開始した。

人が少ないので、全員がなんでもやった。

本を作ることはもちろん、書店や取次(本の問屋さん)とのやり取り、印刷や資材の手配まで、一から勉強せねばならなかった。

社長となったボスも自ら電話をとった。といっても、電話はそんなにかかってこない。当然である。そう、私たちはまだ誰も知らない出版社になったのだ。

電話をかけて社名を名乗っても
「は? どちらさん??」
と言われる。

K書店の編集者として活躍してきたメンバーにとって、その落差は酷なものとなった。カリスマが確立したブランドの恩恵を受けていたのだと、私たちは思い知らされなければならなかった。それ以上に毎日があわただしく、目の前のことにせいいっぱいだったかもしれない。

印刷屋さん、紙屋さん、広告代理店さん、などの業者が新会社へ取引の依頼に来たようだったが、ボスは「最初に来てくれた人」と主に関係をもった。私の知るかぎり、無名の小さな会社のスタートを応援してくれた人びとのことを、のちに会社の名が世に知れて以降も、ボスは大切にしていた。そして何より私たち――ボスの独立についてきた社員のことも。

〈自社単行本・最初の6冊〉を製作した日々より数年にわたり、メンバーは家族のように過ごした。毎夜遅くまで共に仕事をし、終わると四谷しんみち通りで食事をしたり、お酒を飲んだりした。