外資に移ったヤエさんが、いちばん嬉しかったのは、「一人でランチに行けること」だった。

「国内銀行に勤めていた頃は、お姉さまたちと一緒に行かなきゃならなかったのです。社員食堂のいつも決まった席を取らなきゃいけないとか。社食には見えない壁があって、女性のエリア、男性のエリア、ができていたり。それが窮屈だった、ひじょうに。制服を着ていたので外へひとりで食べに行くなんて目立つこともできなくて、ロッカールームでパン齧るなんて人も。そういったことが外資に移ったら、まるでない」

――私も最初に入った会社が外資系金融企業で、会社に縛られない、わりとアッサリ、ちょうどいい愛で包まれていた感じがします。ただ、90年代に入って少し経つと外資系企業の参入がいちだんと増えて、業界再編が進みましたね。転職する人、会社の合併や社名変更なども多かった。私のいた会社の一部門もほかの外資系に業務を引き渡し、みんなバラバラになってしまいました。

「国内の銀行が、証券会社を作ることができるようになるんですよね」

〈金融の自由化〉は、70年代の後半から、じわじわと始まっていた。規制金利が撤廃され、外為法改正(1980年)などで外国との資本取引がますます進むなか、国はそれまで証券会社がおこなっていた投資信託販売を銀行に解禁、銀行は証券業に新規参入しやすくなった。90年代以降、あらゆる業務分野で多発・展開された、〈規制緩和〉というやつである。

「どこの銀行も、子会社に証券会社を作りました。私の勤めていた銀行でも証券部門が子会社に移って、人間も移った。国債の売買などの業務をしていた私も、出向というかたちになりました。ただ出向者ばかりでなく、そこのプロパー社員を増やしていかなければならなかったので、じょじょに子会社の新社員を増やし、業務を引き継いだら私たちは出向を解かれて本社に帰る、という流れだった。私は入社したときから証券取引の仕事しかしていなかったので、もう証券部門のない本社に戻ってもどうかな、という気持ちでいたところ、ちょうどタイミングよく銀行から証券会社へ移ることができました。

そのときは新聞の求人欄で見つけたのですが、ヘッドハンティングというのが業界内で、とくに外資系では多いです。金融専門に扱っているハンターに『自分はこんなことやりたいのでなにかあったら声かけてね』と言っておくのです。私の場合もエントリーしていて、2社目から3社目へかわるときにお世話になりました」

〈規制緩和〉が進んだ時代に、ヤエさんはお家のような日本の会社から抜け出した。一方、その頃の私はといえば、ファミリー感あふれる小さいお家に、どっぷりと浸かっていた。(つづく