子どもの頃から楽器演奏が得意だったので、ジャズや吹奏楽について主に書いた。レコード会社や音楽専門誌からお仕事をいただいて、それらをまじめにやっていくうち原稿の注文が少しずつ増えた。

そして体調が回復してからは、〈期間限定・編集長〉のような仕事も、受けるようになった。会社の起業を考えてもよかった時期が私にあるとするならば、あの頃だったかもしれない。ちょうど退社から3年、初の著書を出版した40代の半ばであった。

芸能人のコンサートや舞台のパンフ、旅行会社や新聞社の広告用ムックなどを製作していた。クライアントから予算を預かって、フリーランスのデザイナー、ライター、カメラマン、校正者といったスタッフを集めて、〈にわか編集部〉を作る。その出版物が世に出るまでのチームだ。そこでのチームワークはやめた会社の追体験のようで、いつもそれなりに楽しかった。ところがその一方で、〈期間限定・編集長〉の仕事が終わるたび、私はひどくホッとした。

クライアントから発注された出版物を作り終えると、私は予算の中からスタッフにギャラを支払い、そのチームは解散となるのだが、私はこうしたお金の計算というものに、おおいに疲れるのだった。

予算はクライアントから仕事を受けた時点で決まっているので、たとえば300万円で受注したら、当然ながらその中でみんなのギャラやランニングコストをすべて賄う。そのやりくりに苦労する。スタッフが頑張ってくれると、ついギャラを増やしたくなってしまう。
アイデアを出しているぶん、クライアントに対していろいろ言いたくもなる。しかし私がかつてやっていたような、すべてを握る編集者と違って、クライアントありきの仕事は当然のことながらクライアントの言うことを聞かねばならず、それまで丸20年、力あるボスのもとで好きな「編集」をやらせてもらってきた自分には、辛いものがあった。

「あなた、下請けでしょ」

という態度をとられたときには堪忍袋の緒が切れて、製作途中にある作業の喜びが、ぜんぶ吹っ飛んでしまう。

そうした現実は、病み上がりの私にストレスをかけた。

寝ても醒めても、みんなのギャラ計算ばかりしていた。

スタッフに無理を頼むこともあった。しかし「あの人はよくやってくれた」などといってギャラを上げることはできない。誰かのギャラを上げれば誰かの分が減ってしまうのだ。だって上限は決まっているのだから。

以前ならボスに相談できたが、もうそんなこともできない。〈にわか編集部〉のために私が声をかけた人たちは、みなそれなりにキャリアも実力もあって、その人たちがお金を幾ら貰うかなんてことを私一人が決めてよいのだろうかと思うとさらに眠れなくなり、このままではまたがんになってしまう……とがん再発の心配がつのったちょうどその頃――〈期間限定・編集長〉の仕事はなぜかパタリ、と来なくなった。