――そこに時間をかけるということですね。

「はい、ノルマを設定せず、引き抜きや独立を恐れず、育つのをじっくり待つ。でも、それで店を維持するためには、ママである私が自ら、売り上げを上げなきゃならないんですね」

――経営して、接客して、営業もする。私のいた業界でいうと、社長であるボスが原稿を取って、本を作って、書店をまわって……そんな出版社、いまもありますよ。いい会社です。

「じっくり待つ、はたいへんだけれど、こらえてやっていました。自分だったら、そういう経営者についていきたいと思うから。〈百年企業〉=あとにつなげていくという発想、それは最初にお世話になったママに教わったことですが、私のクラブでもできるんじゃないかなって。私には娘がいますが、たとえ彼女が店を継がなくても、従業員がちゃんと育てば、かなう。だから目先の売り上げにとらわれず、こらえにこらえて。経営者としての自分にずっとそれを課してきた私が、たった一度だけ、掟を破ってしまったのがリーマン・ショックのあとです。〈2009〉という文字を見ると、いまもギューッと胸を締めつけられる」

――私も〈2009〉に特別の感情をもっています。リーマンで退社を決意して、2009年に独立したので。

「そうしなきゃと思ってしまったんですよね……あのときは。いままでと違う試みをやらなくちゃって。じっさい、もう私の力では売り上げが上がらなくなった。ホステスをやっていると、企業のトップの話を毎日きくじゃないですか。成果主義じゃないと経営できないよというのがすでに浸透していて、で自分らしくないやり方を取り入れてしまった。いまでも思い出すとつらい。売り上げが出なくなっちゃった子にやめてもらったの。それまで支えてくれた子を解雇した。悔いが残りましたね。なんとかできたんじゃなかったかって」

――一時期、みんな取り入れましたよね、外国人のリーダーや、年下の上司なんかが、どの会社にも増えました。でも、日本人にはやっぱり合わない……?

「あとから、気づくんです。あれはいっときのことで、時代の変わり目だったと。あの頃、経営者はみなさん、迷ってましたよ。でも、あのとき迷っていた経営者たちも、いまはもう気づいた。毎晩、店に出ていて、そう感じます。売り上げだけではわからない職種もある。

リーマンから10年かけて、いわゆるアメリカ式とは違うものを、日本の企業は作ったんじゃないですか? 変わったと思う」(つづく