江戸時代に大黒屋光太夫(ダイコクヤ・コーダユー)という人がいた。

彼は商売で海に出たが船が難破してアリューシャン列島へついてしまい、そこからロシア横断という壮大な旅をして、帝政ロシア時代のサンクトペテルブルクへ到着、女帝エカテリーナ2世に謁見までする。彼を主人公にした話は本や映画にもなっている(井上靖 著『おろしや国酔夢譚』など)が、I先生は、そのコーダユーがロシア女性・ソフィアと恋におちるというラブストーリーを書いて、それを少女漫画化したいとおっしゃった。

漫画連載の指令が突然下りてきて、私は大慌てで漫画家を探した。

ところが外国人女性のカオを上手に描ける漫画家さんというのが案外少なくて、苦労した。I先生のイメージに合う画風でなければならなかったし。

ようやっとたどり着いた漫画家の森川久美さんは、金沢に住んでいた。私は毎月、原画を取りに東京から金沢へ、出張することになった。

月末になると飛行機(羽田―小松の回数券を買う)に乗って小松へ、小松からは海沿いに延びる松原を左に見ながらバスで金沢市内に入る。

1週間ほどホテルに住まい、原稿を取るために張り込む。その段階で未だネーム(コマ割り、キャラクターの配置、セリフなどを大まかに書いたもの)が出来ていないことも多かった。

原稿が取れるまで東京へは帰れない。ときに嫌がる作家のマンションに乗り込んで、原画の消しゴムかけを手伝ったり、差し入れをしたり、買い出しをしたり、と作家を缶詰にする昔の編集者らしい働きをしていた。

原稿をオトす(印刷に間に合わず雑誌に作品が載らないこと)とまずいのだが何度もオトしそうになった。校了寸前に「描けない」とギブアップ宣言をされてしまい、手ぶらで小松空港から東京の編集部へ引き返す途中、泣きながらロビン(当時の編集長)に電話したこともあった。

「わかったミルコ、すぐ戻ってこい。みんな待ってる」

そう電話の向こうで言ってもらったら、もう涙が止まらなくなった。

新人編集者時代にいちばん苦労した仕事はアレだなと、いまも思う。

月刊誌の編集部員として漫画連載の原稿を取るのは初めてではなかった。

すでに岡崎京子さんの『カトゥーンズ』という作品の原稿を毎月取っていた。それは連載の最後のコマが次月のアタマのコマとなる、しりとり形式の「グルグルまんが」という面白い試みだった。

岡崎京子さんは締め切りを必ず守る人だったのだ。お宅に行って待つこともあったが、その晩じゅうには原稿が仕上がって、下北沢で遅い晩御飯を一緒に食べたりして。楽しいことしか、なかった。

一方、このコーダユーの漫画の仕事はとてもきつかった記憶がある。

それでも最終的に私の苦労は、『ソフィアの歌』という一冊のコミック本に。そこに描かれたソフィアは、美しい女性に成長した。一冊に閉じ込められて、その美しさは永遠になった。