極寒のシベリアを往くという過酷な旅は、日本から連れ添った仲間を日に日に減らしてしまうが、やがてイルクーツクというバイカル湖に近い町で、ロシア人博物学者のキリル・ラクスマンと深い友情でむすばれるコーダユー。その縁から、彼は奇跡の帰国を果たした。

かつてグローバルという言葉のイメージは私のなかで、たとえばコーダユーのような生き方にあった。

「私も、グローバルな人になる」

〈グローバル〉は姿を変えて、バブル後の私たちの前に登場した。

「成果主義」も「規制緩和」も「構造改革」も名前がちょっとずつ変わっているだけで、新しいスローガンだったかのようなそれらは、どれもこれもグローバル化の一環といえた。

グローバル化にともない、「シェア」やら「フェア」やら「ウィン・ウィン」といった平和・共生を予感させる、幸せそうな音の外国語が頻繁に聞かれるようになったが、じつのところ〈共生より競争〉が奨励されたもよう。「競争に敗けたら自分のせいね」という〈自己責任論〉をともなって。そうした流れはバブル崩壊から2000年代にかけて、私たちを取り巻くさまざまなものを、じわじわ変えていく。

ホステスのアイさんが初めて自分のお店を持ったのは、そんな〈グローバル化〉のウェイヴが日本を覆う頃のことだった。

「家に帰って着物を脱いだら、お客さまが襟元などから入れてくださったお札がバラバラと……」というほどの人気ホステスとしてバブル期を過ごしたアイさん、最初のクラブの開店資金は、銀行から借りる必要がなかったという。

「一軒目を出すときは、それまでホステスとして働いて貯めたお金を元手に、自分で用意できました。ところが、水商売の取引銀行になってくれるところがなかなか見つからず、とても苦労したのです」

取引銀行を探したのは、クラブを〈法人〉にするため。バブル崩壊によって「交際費」が見直された頃で、クラブを接待に使っていた企業側からの要望でもあった。

「当時のクラブではまだ少なかったのです、〈法人化〉するところが。でも私のお客さまはビジネスマンが多く、支払いは〈法人〉相手でないと、と。それまでクラブというのはツケ払いが通常で、ホステスの個人口座にお客さまからの売掛金が振り込まれるようになっていたんですね。ただ、それによる不正も多かった。いまでは法人化されたクラブも多いのですが、20年前にはほとんどありませんでした」

法人というからには、〈人〉なのだ。いちおう。でもすぐかんたんになれるというものでもなかったらしい。「女の人」にとっては。